2009/08/24 15:12
『エスカレーション』
人影のないプラットホームではトンボ1匹が死んでいた。磔にされた神さまのように見えた。
普段よりも短い電車が緩々とスピードを落としていく。焦らすようにじりじりと、停まる。開いた扉へ、飛び込む。
入って直ぐの座席に座り、鉄の手すりに寄り掛かる。冷たい。おれは大した間もなく、うとうとし始めた。眠りたかった。
こえれど。
耳元で女が囁く。
こえれど。
おれはゆっくりと目を開いた。
まだ電車は動いている。白い光の中に白い女が立っている。
「こえれど」
女が口唇をもごもごさせて言った。眠い。酔っているのか。絡まないでくれおれは疲れているんだ。
女は悲しげに眉を潜めると、大きく口を開いた。
どす黒い血がばたばたと白い床で弾けた。
「帰れない」
女は異様に短い舌をゆっくりと動かして、ゆっくりと言った。
「そう」
おれは帰るよ。目を瞑る。終着駅まで時間がある。
寝ることにする。
夜風が頬を撫でる。足元で十字のトンボが死んでいる。もう秋か、と思った。