地獄の回想録

2006年からやっているブログの記事を機械的に貼り付けました。

2010/12/22 11:58

『慶長5ch 秋の特番「激突!関ヶ原の戦い実況中継」』

 

関ヶ原の戦いとは

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慶長5年(1600年)、美濃関ヶ原を戦場に起こった戦いをいう。
徳川家康率いる江戸方、(総大将じゃない)石田三成率いる大坂方が10万の大軍で戦ったのに、1日で終わった。
江戸幕府が開かれるのがその3年後。でもこの話はフィクションです。


石田三成
「はいでは始まりました。美濃は関ヶ原、慶長5年9月15日。時刻は、ええ、布陣から2時間程が経っていましょうか。霧の中より銃声、応射の音、続いて鬨や地鳴りが聞こえて参りました。これを以って、関ヶ原の戦い、開戦とさせて頂きます。いや、愈々始まりましたね。どうでしょう、天下を二分する合戦を引き起こした、ご感慨の程」

 

徳川家康
「感無量です」

 

石田三成
「はい。まさしく内府(家康)殿の忍従の賜物、これ程大きな合戦、織田右府(信長)さまや太閤(秀吉)殿下さえ起こしてはおられません。流石未来の大都市、今はド田舎の江戸を領る巨体で居らっしゃられます」

 

徳川家康
「腹を見て仰られますか」

 

石田三成
「失礼。某、たかが19万飛んで4000石の小身であり、内府殿の仕様、真似しようにも出来ません」

 

徳川家康
「これはこれは、何を仰るか。貴殿こそ、二分の片割れ、大坂方の首謀者であらせられよう」

 

石田三成
「やや。いや、総大将は毛利中納言(輝元)殿にござりまするぞ」

 

徳川家康
「実質的には貴殿でしょう。安芸(輝元)殿程の大名を立てねば、これ程の兵は集まりますまい」

 

石田三成
「見抜かれておいででしたか」

 

徳川家康
「偏に、貴殿の人徳のなさ、身の小ささの由来する所とお見受け致す」

 

石田三成
「いやーははは」

 

徳川家康
「その小才子ぶり、まさに真似しようとも、出来ませんなあ。おや、頭の天辺が円形脱毛

 

石田三成
「見下ろすな、内府!ええい、無礼者、今この場で手打ちにしてくれる!」

 

徳川家康
「刀を仕舞いなされ。落ち着きのない。だから大将の器でないと揶揄されるのですぞ」

 

石田三成
「まだ申すか!おのれ、こら、離さんか!あの狸めを!あの奸佞めを、儂自ら!‥‥」

 


石田三成
「お見苦しい所をお見せ致しました」

 

徳川家康
「頭を冷やされたようで何より」

 

石田三成
「貴様なんぞに謝まってなどおらぬわ!」

 

徳川家康
「お座りなされませ」

 

石田三成
「今に見ておれ‥‥霧が晴れて参りました。ここからも戦場の様子が、ああっと、宇喜多隊が数隊に攻められているようです」

 

徳川家康
「おお、あの旗差し物は忠勝、万千代(井伊直政)、それに‥‥」

 

石田三成
「酔いどれ福島と、有名じゃない方の加藤隊です。まあ要は裏切り者です」
 (本多、井伊と違い、徳川家臣ではなく豊臣家臣)

 

徳川家康
「あれだけの隊に囲まれても、宇喜多隊はひけを取りませんな」

 

石田三成
「当然です。そう簡単に崩れてしまっては困ります。宇喜多隊は我らが誇る精鋭部隊なのです。まあ、この関ヶ原に誘き寄せられてきた時点で、こちらの優位は決まっているのですがな」

 

徳川家康
「ああ、ああ。皆、情けないことじゃのう。みるみる引いていきおるわ」

 

石田三成
「うわー」

 

徳川家康
「どうなされた」

 

石田三成
「くそう、者共、かかれ!」

 

徳川家康
「おお、黒田、細川隊に攻められているようですな」

 

石田三成
「大筒用意!撃ち方、始め!」

 

徳川家康
「ああうるさいうるさい。野良犬のように、きゃんきゃんと」

 

石田三成
「聞こえておるぞ内府!」

 

徳川家康
「ああ?聞こえませんな、大筒が喧しいもので」

 

石田三成
「死ね」

 

徳川家康
「聞こえませんなあ」

 

石田三成
「耳に弾ぶち込んだら風穴空いて聞こえやすくなると思うよ糞老人」

 

徳川家康
「高虎と京極殿が‥‥貴殿の親友の大谷殿を攻め始めましたぞ」

 

石田三成
「あいつなら大丈夫だ。動揺させようとも、その手には乗らんぞ」

 

徳川家康
「今更そのような策は掛けんなあ。さんざ動揺しておいて」

 

石田三成
「しかし、心配なのは田中、織田に当たっている小西摂津の方だな。あいつは弱いからな」

 

徳川家康
「まあ人のことは言えないでしょうが。忍城なんて」

 

石田三成
「言うな。あれは余人には図れぬ、中間管理職の苦労があったのだ」

 

徳川家康
「言い訳か」

 

石田三成
「わからずともよい。儂は殿下を貶めるようなことは言わんでな。『のぼうの城』、面白いぞ」

 

徳川家康
「ああ、全国に貴殿の失策が今秋大公開」

 

石田三成
「だから、違うと言っておる!あーはい。ではここでゲストとして元織田家武将の弓の名手、現在は豊臣家に仕え、主に軍記作家として活躍している太田牛一先生をお呼びします。先生、第一線に、ようこそお越し下さいました」

 

太田牛一
「いえいえ」

 

石田三成
「どうでしょう、今回の戦、先生の目からご覧じられて」

 

太田牛一
「未曾有の大戦ですね。まさに天下分け目の名に相応しい喧しさです」

 

徳川家康
「‥‥先の大筒の音ではないか」

 

石田三成
「‥‥申し訳ない」

 

太田牛一
「いえ、笹尾山は大筒も喧しいのですが、この鉄砲や矢さけびの声。‥‥『天を轟かし、地を動かし、黒煙り立ち、日中も暗夜となり、敵も味方も入り合い、しころを傾け、干戈を抜き持ち、おつつまくりつ攻め戦う』‥‥とでも、書かせて頂きましょうか」

 

石田三成
「よくぞそのような素晴らしい言葉が浮かぶものです。後世、この戦がどれだけスケールの大きなものであったか、衝撃でもって伝えられるでしょう」

 

徳川家康
「カンペ無しでは褒められませんか」

 

石田三成
「ああ喧し。何も聞こえへんわ。では太田先生、有難うございました。引き続き関ヶ原合戦の記録をお願いします」

 

太田牛一
「はい。有難うございました」

 

石田家家臣
「申し上げます!島左近殿が黒田長政隊による銃撃を喰らい重症!」

 

石田三成
「っうぇwwwちょwwいきなり何wwww」

 

徳川家康
「文字数の半分以上が意味不明だが」

 

石田三成
「>>徳川家康
 ggrks
 はい、ここでコマーシャルです」

 


(CM中:笹尾山西軍本陣)

 

石田三成
「うぬぬ、開戦早々何と‥‥おのれ長政!そもそも黒田家は太閤殿下のお取り立てにより、大名に独立するまでになったというのに!この不義者め!目にもの見せてくれる!」

 

島左近
「うるさい」

 

石田三成
「あっ生きておったか」

 

島左近
「ちょっとは心配しなさいよ」

 

石田三成
「いい歳なのに妙にタフだな。戦国無双2でも妙に強いしな。お前続戦国自衛隊の人?とき衆なの?あれ若いよな。いい歳なのに」

 

島左近
「無駄口の無駄遣いしてないで、早いとこ連中に合図送りなさい」

 

石田三成
「まだ西軍が有利じゃないか。彼奴らは奥の手でよかろう。不戦なら不戦で、論功行賞でこちらが優位に立てる」

 

島左近
「勝った後のことなんざ考えてるのですね」

 

石田三成
「うん。だって勝つもん?」

 

島左近
「馬鹿じゃないの。殿は戦下手かどうか知らないけど、いかんせん経験浅だよね。わかる?戦況は風なんだよ。ちょっとした障害で向きは変わるの」

 

石田三成
「や、やめてよーまた説教?俺の晴れ舞台なんだよ?そんな言い方ないんじゃない?」

 

島左近
「あんたはそれでいいかも知れんが、今この瞬間も血を流して戦ってる部下が居ることを考えなさい。何故殿がここに居るのか、しっかりと考えなさい」

 

石田三成
「‥‥」

 

島左近
「少なくとも私は、あんたを勝たせる為に居る」

 

石田三成
「‥‥」

 

島左近
「儂は今一度、本陣をお守り致す。いつまで保つか知れぬが、せめて最期まで、全力を尽くそう」

 

石田三成
「左近‥‥」

 

島左近
「先の問いは、宿題にしておきます。では‥‥お達者で」

 

石田三成
「‥‥」

 

 


(CM明け)


石田三成
「あーもう。はい、引き続き関ヶ原合戦をお送りします」

 

徳川家康
「おや、随分投げやりですな。焦っておられますか」

 

石田三成
「内府殿こそ‥‥ああ、このピンチに、徳川の主戦力がご不在でしたなあ‥‥何処で何をしてるのやら」

 

徳川家康
「貴殿の計だとすれば、褒めざるを得ませんな」

 

石田三成
「別に褒めてもらいたくもないが、儂の策ではない。安心するんだな」
 (家康三男・秀忠率いる徳川本隊は、信州上田城にて真田父子と交戦中)

 

徳川家康
「しかし、コマーシャル中に随分奔走されたようで。貴殿自ら不動の陣に出向かれたとか?噂話ですがな」

 

石田三成
「噂話を信ずるなど。儂はずっと本陣におりました。使者は立てましたが。島津殿と‥‥あの山には」

 

徳川家康
「‥‥松尾山」

 

石田三成
「儂が気付かん筈がなかろう、内府?小早川は東軍だ。松尾山に入られてしまったのは痛いが‥‥奥の手にしては、ちと、甘すぎる」
 (松尾山には砦が築かれており、総大将毛利輝元と、戦の大義名分となるキーパーソン、豊臣秀頼が布陣する予定だった。というか、してもらいたかった西軍)

 

徳川家康
「‥‥突然、堂々としたもので。強がりですかな」

 

石田三成
「強がりはどちらかな。‥‥先より、親指の爪が縮んだように思われますが?」
 (家康は焦ると爪を噛む癖があったらしい)

 

徳川家康
「はっは‥‥どう思われようが、自由、ですなあ」

 

石田三成
「南宮山も栗原山もあてにはならん。あやつらが弁当を食い終わる前に、この戦の勝敗は着く」
 (「宰相殿の空弁当」。南宮山、毛利家家老の吉川広家が東軍に内通しており、毛利軍の前で弁当を食い続け、毛利軍は進撃出来なかった。その動きを怪しみ、近くの栗原山の長曾我部盛親も動けず‥‥というが。何故そんな高山に布陣した両軍)

 

徳川家康
「よく喋りますな。自軍の事情を」

 

石田三成
「自軍だと?どうせ裏切りの約定でも結んでおろう。しかし、所詮狸のまやかしよ、彼奴らも今に目が覚めようて」

 

徳川家康
「仔狐が謡の猿芝居では、踊るに踊れんのだろ?化かし合いなら、儂のが上手、か」

 

石田三成
「‥‥儂は化かしなどしておらぬ。真正面から、貴様の首を獲りに参ろう」

 

徳川家康
「あっそう」

 

石田三成
「急に何だよ」

 

徳川家康
「じゃあ桃配山から下りちゃおうかな。なんて」

 

石田三成
「く、来るのか!?高山に陣取りおって、どうしたものかと手をこまねいておったが‥‥」

 

徳川家康
「いや、すまん。こちらの話じゃ。気にせんでくれ」

 

石田三成
「プライベートな話かよ」

 

徳川家康
「ふふ‥‥しかしじきに下りてこられるようになろうなあ‥‥貴殿の立つ、笹尾山の真下まで」

 

石田三成
「何?」

 

徳川家康
「貴殿が弁当を急かしたり、島津に無礼な催促しとるコマーシャル間に、儂が何もしていないとでもお思いか?」

 

石田三成
「な」

 

徳川家康
「もう‥‥昼になりますなあ‥‥」

 

 


小早川秀秋(毛利両川=吉川、小早川の小早川隆景の養子)
「治部(石田三成)は嫌いだ」

 

松野重元
「はあ」

 

小早川秀秋
「でも内府も好きなわけじゃない」

 

松野重元
「まあ我々の敵ですからな」

 

小早川秀秋
「しかし、俺は元々、内府との間に寝返りの確約を結んでいる。ここまでは、いいか」

 

松野重元
「えっ!聞いてない!」

 

小早川秀秋
「あっ!いけね、味方にもぺらぺら喋るなって、平岡石見に言われてたんだ」

 

松野重元
「で、では、金吾さまは、このまま下山ついでに、大谷殿を攻めるというのですか」

 

小早川秀秋
「ついでにってなあ。何か大谷さん強いらしいから、ついでにはいかないかなあ」

 

松野重元
「重要なのは、あんた、そこじゃありません!豊臣家に反旗を翻すのか、と、それだけです!」

 

小早川秀秋
「な、何だよ!豊臣家が俺に何してくれたんだよ!勝手こいて、俺を親から引き離しといて、要らなくなったら小早川に押し付けただけじゃねえか」
 (秀吉の妻の兄の子だったが、子のない秀吉の養子として引き取られる。が、不器量と秀頼の誕生を理由に、小早川家に養子として送り込んだ、といわれる)

 

松野重元
「そ、そんな私怨で」

 

小早川秀秋
「別に私怨じゃない。恩義感じないんだよ。あ、それだけじゃないぞ。俺はまあ、馬鹿だけど、馬鹿なりにしっかり考えたんだよ。俺が治部に従って、勝って、俺が関白になって、どうなるのか」

 

松野重元
「‥‥」

 

小早川秀秋
「先の関白、秀次さんさ。殺生関白なんて言われて、室からその子まで皆殺しだろ。そもそも秀次さんを讒言で貶めたのは、治部って噂じゃないか」

 

松野重元
「たかが噂です。妻妾や息女の助命を、太閤さまに請うていたという話もあります。秀次さまご自身の評価といえば‥‥」

 

小早川秀秋
「まあ、いいよ。どっちでもさ。でもさ、治部が無能の俺を、関白なんてポストに置いておくと思う?」

 

松野重元
「しかし、現在の戦況は西軍有利で」

 

小早川秀秋
「いいとこ、追い落とされて失脚だな。多分、宇喜多さんが擁立される。だって宇喜多さんのが頑張ってるし、有能だし、豊臣の皆にも可愛がられてたし、イケメンだし、21世紀では最早伝説の人だし、うわああ!ほら!俺、死ぬよ!だってほら、俺邪魔じゃん!俺の為のスペースないじゃん!俺、何処にも、何処でも、だから、せめて」

 

松野重元
「笹尾山から狼煙です。進軍の合図です」

 

小早川秀秋
「俺のお陰で勝ったのなら」

 

松野重元
「金吾さま!進軍です!」

 

小早川秀秋
「俺は内府の恩人だ」

 

小早川家家臣
「も、申し上げます!松尾山、麓で銃撃!」

 

松野重元
「何処の隊が」

 

小早川家家臣
「え、江戸方であること以外は何も」

 

小早川秀秋
「合図だ」

 

松野重元
「え?」

 

小早川秀秋
「進軍の合図だ。内府が、俺を、頼ってきたんだ!」

 

松野重元
「お、おい」

 

小早川秀秋
「皆の者、進撃じゃ!標的は、標的は‥‥」

 

 


石田三成
「やはり‥‥金吾(秀秋)め、裏切り者か」

 

徳川家康
「風が、どうやら東向きに変わったようですな」

 

石田三成
「?‥‥安心するのは早いのではないか?」

 

徳川家康
「そうですかな?」

 

石田三成
「‥‥まあ、よい」

 

徳川家康
「しかし、流石は大谷殿。小早川殿の寝返りにも備えていたのですな。崩れる様子がない」

 

石田三成
「‥‥そうだろうな‥‥!」

 

徳川家康
「あ、何と。大坂方の諸将が大谷殿を攻め始めましたぞ。いやいや、これは」
 (脇坂、赤座、朽木、小川の4隊)

 

石田三成
「な‥‥何だ‥‥こんな早さで‥‥」

 

徳川家康
「ご覧なされ。‥‥大谷殿の勇姿を」

 

石田三成
「うるさい‥‥なあ、何が風向きだ‥‥一瞬ではないか」

 

徳川家康
「流石に大谷殿にも支え切れんか」

 

石田三成
「‥‥そうか‥‥そうだな。儂がやるべきこと、だ」

 

徳川家康
「大谷隊を抜いたか」

 

石田三成
「‥‥見ていろ、内府。力で御せないものがあると知れ」

 

徳川家康
「おや、何処へ行かれる?‥‥おひとりで」

 

 


寝返りを起こした小早川隊、それにつられるように反旗を翻した大谷麾下4隊、他東軍諸隊、徳川本隊の進撃により、西軍の旗色に翳りが見え始める。

 

小西行長
「戦うな!無駄死にするな、はよ逃げんか!‥‥ああ、何や、また天主は儂を見放すんか。薄情やなあ‥‥堪忍な、皆」

 

 

宇喜多秀家
「おのれ金吾許すまじ!秀吉さまの養子でありながら!」

 

明石全登
「秀家さま!関ヶ原はもう駄目です、早くお落ち下さいませ!」

 

宇喜多秀家
「落ちるじゃと!きゃ、彼奴めを討たねば、儂は‥‥儂は‥‥」

 

明石全登
「‥‥秀家さま‥‥泳いで薩摩までお逃げ下さい」

 

宇喜多秀家
「そこは泳がねえよ」

 

 

石田三成小西行長宇喜多秀家関ヶ原を脱出。
徳川家康は西軍本陣、笹尾山の直ぐ下に陣を布いた。

既に石田隊も壊滅に近く、勝敗は明らかになった。

 

島津豊久
「叔父上!正気じゃな?」

 

島津義弘
「正気も正気じゃ‥‥皆、着いてきてくれるか」


近付く敵味方に撃ち掛け、不動を保ってきた島津隊の陣から、大きな鬨の声があがった。

 

島津義弘
「敵中突破じゃあ!」


関ヶ原最後の戦いが、始まろうとしている。

 


石田三成関ヶ原を落ち、豊臣秀頼の居る大坂城を目指した。再度の挙兵を謀った。
自ら死を選ぶことなど、彼にとっては愚の骨頂だったらしい。
しかし、大坂は遠かった。

「十月一日、三人を伝馬に乗せ、一条の辻より室町を通り下り、寺町を出て、
 六条河原に引き出し、見物諸人群をなす。六条河原にて、非人の手に懸けて成敗也。
 其時七条道場上人の役にて、箇様の引渡し罪人に十念を授けらる。此時も上人出らる。
 然れども、治部少輔は法華にて念仏を受けず、安国寺は禅宗の西堂にて念仏を用いず、
 小西は切支丹にて、唐銅の板に己が宗旨のはた物佛を書きたるを首にかけ渡されける間、
 是も十念を受けず、上人空しく帰ると也。」『慶長見聞録』


坊さんをすげなく帰した石田三成小西行長安国寺恵瓊の三将の処刑後、石田三成の居城、
佐和山城井伊直政の手に渡る。
佐和山城下では家臣の遺骨を探す石田三成の霊が現れる、縁の寺で霊現象が起こる、などの風聞が生まれた。
江戸から明治まで、反逆者として伝えられた石田三成
風聞を語り継いだであろう領民たちは、ひっそりと、彼を供養し続けた。

 


石田三成
「力じゃ御せんだろう、こればかりは」

 

島左近
「さすが殿、負けを知りませんね。たまには挫けて下さい」

 

石田三成
「人気では俺が勝ってるよな、古狸より」

 

島左近
「そうかなあ」

 


現代まで続く青史の、400年前の話。