地獄の回想録

2006年からやっているブログの記事を機械的に貼り付けました。

2007/03/16 00:23

ノアの方舟

 


途中です。
多分続きません。

 

 参加者(予定) 50音順


 ・ 公山 佳奈美 様

 ・ 公山 優 様

 ・ 駒村 友朗 様

 ・ 珠ヶ崎 朝香 様

 ・ 春野 健悟 様

 ・ 翠川 征子 様

 

    


皆様のお越しをお待ちしております。

野吾 博人 ・ 葵

 


『Noah's Ark』

 

 

 

 

「・・・・で」


翠川征子が、ため息交じりで言った。

「野吾は何を考えているわけ?」


野吾(やご、と読む)とは、この立食パーティの主催者である。
先程、遅れるので始めていてくれ、という野吾からの言伝を、夫人である葵が
謝りながら告げてきたので、不満げな征子は愚痴を始めようとしているのだ。

 

「まあまあ奥さん。野吾さんが戻ってきたら、聞くチャンスもできるでしょう」

ここに来てから殆ど口を開いていない、がたいのいい30代前半の男。
公山優というらしい。


征子は、フォークをくわえながら、公山をぎらりと睨んだ。

「独身よ。悪かったわね」

「あ、ああ。すみません。えっへへへ」


自分の気弱さをアピールしているような笑い方。
佳奈美が、眉を寄せて口唇を突き出し、夫に侮蔑の視線を向けている。


公山が征子を既婚者だと思うのも、無理はない。
征子は40歳前後に見える上に、お水、という気もない。
日常の中で、奥さん、と言うのに慣れているということもあるだろう。

公山の隣に立つ佳奈美は、随分若いように見える。
高校生と言われれば騙されると思う。

その点、既に万年サラリーマン、なんて罵られていそうな風体の公山は、
佳奈美の父親のようだ。


「ていうか、ここに集まってる人たちは何の繋がりがあるんですか?」

そう言ったのは、珠ヶ崎朝香。恐らく、この中では最年少・・・・?だろう。
彼女こそ、本当の女子高生か。赤く染めた髪に、薄めの化粧が乗っている。


「野吾君の知り合いが呼ばれたんでしょう。全く、いつも奇抜な発想しか
 しない人ですからね。彼は。このスタンディング・ビュッフェだって、
 人数を考えれば、私はもっと質素なものかと思っていたのに」

最年長、駒村友朗。
白髪を綺麗にまとめていて、老眼鏡を上げる仕草も、やけに紳士臭い。


招待状が送られてきたのは1ヶ月前。聞き覚えのない名前の一覧、たった6人の招待客。
何を祝う会なのかもよくわからないが、大学の春休みで、暇を持て余していたこともある。
僕は素直に、東京の外れまで車でやってきた。事件の香りがする。

箱のような建物だった。見ただけで思った。


『これは殺人起きるぞ』、と。


3階立て程の、長方形の新しい家。
野吾は、御年61になってから、ここを建てたらしい。

会食なんてどうも現実離れしたようなことを行うなんて、森の中にある
蔦の這ったお化け屋敷みたいなところかと思ったら、どうやらそれは
ホラー映画の舞台のようだった。

集まった全員にやはり見覚えはなく、それは他の5人もそうだったようだ。
受付の時に葵に、名前だけが書かれた首から下げるタイプの札を渡され、
それでやっとお互いの顔と名前を一致させたわけである。

 

というか、スタンディング・ビュッフェとは如何に。
スタンディング、と言っているから、この立食パーティーのことを
差しているということでいいのだろう。
回りくどい言い方だ。

 

ナポリタンのスパゲッティをトングで掴みながら、朝香は頷いた。

「へええ。野吾さんって真面目なイメージあるんですけどねえ」

「イメージとはかけ離れたものですよ?実際に話してみると」


駒村と朝香は、意外と気が合っているようだ。仲良さげに話している。

公山夫婦は、どうやら小さな口喧嘩中らしい。明らかに佳奈美が押している。

 

・・・・征子は?1番気の立っていた征子の姿が見えない。

ミステリーの掟では、こういう風に消える人は殺されているか、
生きている場合には被害者との言い合いを誰かに聞かれ、殺人犯として疑われるか、だ。

取り敢えず、被害者は今この場に居ない野吾か?
逆になることもあろう。


探しに行くべきだろうか?

いやいや、今僕が行っても、犯人と被害者の確執は消えない。
更に被害者を増やす前に、精々僕が犯人を当てるための証拠を沢山
残してもらおうじゃないか。うふふ。

 

「しかし、見ましたか?招待状の文末」

聞く気はなくとも、近くに立つ駒村と朝香の会話が聞こえる。
僕は自然に、あくまで自然に会話に加わった。


「そういえば、何か英語が」

「そうそう。何だっけ」


朝香が鞄から取り出そうとするのを、駒村は手で制した。

「『ノアズ・アーク』。旧約聖書の創世記の中に出てくる、『ノアの方舟』です」


「ああ、ええっと。確か船を作って動物を入れて洪水を逃れて、てやつ」

指を1本立てて振りながら、ひとつひとつ思い出すようにしながら言う朝香。
駒村が、くすりと笑う。


「そうですね。まあ概要を話すなら・・・・。神が人を創ってから、地上に人間は増え続けました。
 人間が増えれば、悪行を行う者だって出てきます。そいつらを、洪水でまとめて
 滅ぼしてしまおう、と神様は考えたわけですね。人を創ってしまったという、
 後悔すらしているんだから」

最後の方、紳士らしい微笑が嘲笑に変わった気がした。
怪しいな。まるで誰か実在する人物を神に見立てて、憎んでいるということを
言っているみたいだ。

しかしまた、すらすらと出てくるものだ。
朝香は、尊敬の眼差しを向けている。
僕は、何となく落ち着かなくて、手に持ったグラスを揺らして言った。


「嫌な神様ですね。殺せばいいってもんじゃないでしょ。テロみたいじゃないですか」

月並みな感想だ。
そういえば、昔この話を聞いたことがある気がする。

テロみたい、とは誰かの感想の受け売りだったか。


「テロですか。そうか、独裁的ですしね。暴力行使、テロ・・・・うん」

何か悩んでいるようだったが、僕には計り知れない内容だろう。

今更他人の考え、とも言いにくいな。


「テロっていえば、野吾さんもテロの話してましたよね?」

朝香が、口元の赤い染みを可愛らしいピンクのハンカチタオルで拭いつつ聞いた。


「まあ、それはいいんです。何処まで話しましたっけ、ええ」

「洪水?」

「ああ、そうでしたね」

駒村が、本当に忘れているようには見えなかった。
朝香の簡単な一言だけで思い出せるくらいなのだ。

話の枕のようなものか?それとも・・・・。


「当時600歳だった、ノアという神に忠実な男が居たんです」

「600歳って、お爺さんじゃん?」

いやいや、それ以前に600歳も生きれないだろ。
僕は心の中でツッコんだ。

「相当なご老人ですね。そのノアに、神は方舟の建設を命じました」


腰の曲がった皺ろ髭だらけの老人が、ローブのようなものを被ってとんかちを握っている。
変な光景だ。もっと神聖な話ではないのか、僕。


「方舟を完成させたノアは、それに自分の妻と、3人の息子たち、更にその妻たちを乗せた。
 何かに気づきませんか?」


少し挑戦的な言い方だ。
ミステリー好きの僕としては、何としてでも解きたい。

自分の妻に3人の息子に、3人の妻?
ノアを入れれば8人、か。ううん、わからん。


「・・・・ここに呼ばれたメンバー?」

朝香が、自信のなさそうな小さな声で言った。

「そうですね」


まさか朝香に先を越されるとは。悔しい。

改めて客を見渡す。


主人の野吾、その妻の葵。
公山に佳奈美。


「でも、夫婦は1組だけですね」

「まあ、あくまでテーマにしてるだけじゃないですかね」


駒村に朝香に征子。それに僕、か。

成程、丁度8人だ。


僕がそれを確認し終えると、駒村がまた話し始めた。
どうも推理小説に欠かせない、ヒントを提示してくれる人らしい。
勿論、そのヒントを元に事件を解決に導く名探偵は僕だ。事件も何も起こっちゃいないが、
これからそのノアの方舟に繋がった事件が起きるのだ。間違いない。


「春野さんの持っているその赤ワイン。ノアは洪水の治まったのち、葡萄を栽培している」

僕は、何故かどきりとした。
何気なく注いだワインだが、そういえばワインしかなかった気がする。


「料理は、完全ではありませんね。でも、彼のこと。手に入る肉は全て使っているでしょう」

「確か、全ての種類の動物をつがいにして船に乗せたんでしたよね」

思い出してきた。
つまり、バイキングの料理に使われている肉も、ただの食べ慣れた肉だけではない、
というわけだ。

「色んな肉使ってるってこと?やっだ、何の肉?ワニとか?」

「それくらいなら優しいもんです」

駒村の追い討ちに、朝香は眉間に皺を作った。

しかし、朝香もさっきからナポリタンしか食べていない気がする。
おかしな肉は食べていないだろう。


「それと、野吾君の名前、ですね」

野吾博人?それらしい名前ではないが・・・・。

「漢字を見てみてください。野原の野に、吾妻橋の吾」

「ノア・・・・。おお!」


凄い、そんなお遊びが隠されていたなんて。

僕は、本当に殺人事件が起きた、という気がしてくるほど探偵気分だった。


「彼らしいものですよ。自分の名前とノアの方舟を掛けるなんて・・・・。
 多分このパーティーだって、思いついた嬉しさに任せて計画しちゃったんでしょう」

いかにも親しそうな話を聞いていると、野吾と駒村の関係が気になってくる。

「駒村さんは、野吾先生とはどういったご関係で?」

出来うる限り、かしこまった言い方をしたつもりだ。


駒村は、小首を傾げた。

「先生?野吾がかい?」


「ええ。野吾先生はうちの大学の、いや、還暦の何年か前に辞めたんですけど、
 元教授だって聞きましたからね。まあ僕が入学する前に辞めたんで、
 学校で会った事はないです。隣に住んでるんで、よくしてもらってて」

意外そうな顔をされた。


「あれ?変だなあ」

声を上げたのは朝香だ。

「野吾さん、お父さんとお母さんの仲人やったっていう知り合いなんだけど・・・・あれ?
 作曲家って聞いたんだけど」


「作曲家?でたらめ言うねえ。身分詐称は違法だよ」

呆れたように笑うのは、駒村。
どうやら、真の姿を知るのはこの人だけか。

「野吾は、私の仕事仲間だ」

「そういえば、最初に奇抜な発想しかしない、て言ってましたね。それはやっぱり
 仕事上で付き合う仲の言葉、か」

やっと探偵役っぽいことを言えた。
自分でも感心するくらい、わけのわからないことを覚えていたと思う。


「何の仕事してるんですか?」 
 
・・・・見事にスルーされた。
僕はずっこけそうになったが、無表情を努めた。


「元、だけど・・・・ただのプログラマーだよ。私たちが若い頃は最新鋭だった。
 今の便利なパソコンの基盤を作り上げてきたわけだ」

「へええ」

よかった。警察関係者とかだったら、探偵役が奪われてしまうところだった。


しかし、そういう特殊な職業も用心が必要だ。

もしかしたら、インターネットを使った殺人計画が密かにある組織内で
練られていて、警察の捜査に何度も貢献してきた駒村がハッキングでそれを突き止め、
今日この中でそれが遂行されようとしているのを潜入捜査で止めにきた、とか。


そしてこの人は招待状に記載されていた駒村さんではなく、
その役を買ってでた刑事!


有り得る。
見せびらかすような妙な知識も、このパーティーの客の中に潜む犯罪者に、
圧力をかけているのかもしれない。

そうか、さっき神が人を創ったことを後悔している、と言う所に嘲笑を見せたのは、
その犯罪者たちの作った兵器が、製作者の手に余るほど強力になってしまって―
ということと重ねていたのか!


つまりそいつらの狙いは、テロ!
これで全てが繋がった。

主催者である野吾も、妻の葵も協力者だろう。
職業を偽り続けているのも、テロリスト集団にも自らの正体に気付かれずに近付くため。

ノアの方舟とは、長年このテロリストたちと対抗して警察組織の名前か。
格好いい。

「駒村さん、ちょっと‥‥」

それならば、こんな所で悠々と油を売っている場合じゃない。

 

駒村を会場の隅の方に呼び、周りに感付かれないように聞いた。

「テロ、ここで起きるんですね?」

「‥‥気付かれたか」

口調と雰囲気が、がらりと変わった。

「ええ。貴方が本当の駒村さんではないということも、このパーティーは
 仕組まれたものだ、ということも」

僕は興奮を抑えながら、さっきの推理を話す。

「‥‥どうしてわかったんだ?野吾が仲間だということまで」

「ここに呼ばれた人たちの殆どは、野吾さんと大した付き合いはないんでしょうね。
 でも、お互いはお互いの存在を知らないから、そんなことは不自然にも思わない。
 上手く紛れ込める。これが、僕らがこのパーティーに呼ばれたわけです」

「ほう」

‥‥間違っているのか?
いや、そんな筈はない。

「そんな中で、貴方は野吾さんと深い付き合いらしい。しかも、僕と珠ヶ崎さんの
 知っている野吾さんの職業を、矛盾を改めるように言っている。これは、貴方が
 仲間だから、辻褄を合わせるような嘘をついたんだ」

「ふたつ、間違いだな。私は嘘なんてついてない」

腕を組んで、壁にもたれた。

「ひとつは、君たちを呼んだ理由に、野吾は食事会を開いていた、というアリバイを
 作るためを追加してもらわないといけない。まだ、正体をバラしちゃまずいからな」

潜入捜査官の顔が割れてしまえばおしまいだ。
僕は頷いた。

「ふたつ目は、私も野吾も、プログラマーさ。元はただの、ね」

今は捜査官、か。

「珠ヶ崎さんにテロの話を聞かれていたのは、驚きですか」

「ああ、一瞬心臓が止まったね。あの馬鹿、隣家に聞こえるくらいの
 大声だったのか?」

顔が、神話を話しているときに見せた嘲笑になっている。

「しかし、君が止められる、とでも言うのか。既にこの屋敷の何処かで、徐々に
 テロは起こされているんだぞ」

「徐々に?」

小さな爆発がぽんぽん起きている?いやあ、そんなまさか。

「君が機械に強いようには見えないがね」

そう言うと、駒村は肩に掛けた黒く薄い鞄の中から、ノートパソコンを取り出した。

それを開き、起動させ、僕に手渡す。

「うわ。な、何ですか」

「そいつが、ここにあるスーパーコンピューターの管理画面さ。今、日本中のパソコンに
 侵入が始まっている。止められるのなら、止めてみたまえよ」

そしていやらしい笑みを浮かべ、朝香の方に戻っていった。

「ちょ、駒村さん。貴方がやればいいじゃないですか」

駆け寄って文句を言う。
すると、何故だが首を傾げられた。

「何でです?」

また、人が変わったみたいだ。

「だって、貴方が解くために」

「え?‥‥理解しかねますね。混乱してきました」

「僕もよくわからなくなってきました」

 


結局僕たちは会場を出て、廊下でゆっくりと話すことになった。

「ええと、じゃあお互いの身分を白状しましょうか」

「キャラクターが戻ってませんが」

僕は単なる大学生なのに、ということよりも、そっちの方が何となく気になった。

「‥‥じゃあ、せえので言おうか。せ、えの」

 

「単なる大学1年生です」「雇われテロリスト」

 


お互いの顔を見合わせ、

「え?」

放った言葉は、声のトーンまでもがハモっていた。

「サツのやつじゃないのか?」

「そっちこそ、潜入捜査官じゃないんですか?」

僕は駒村が警察官だと思っていたのだが、駒村は僕が警察官だと思っていたらしい。

「つ、つまり駒村さん、貴方は」

「お前の言う、テロリストだよ。本名も教えてやろうか?花岡、ていうんだ」

し、しまった!逆だったか!

「どうもこの計画がどっかに漏れたらしくてな。ダミーのページを作っては
 置いたんだが‥‥」

言っていることはよくわからないが、どうやらインターネットを使ったテロらしい。

僕の推理は90%は当たっていたが、残りの1番重要な部分が外れだったのか。

ある意味凄い!
ある意味名探偵!


「‥‥つまり私の腕を見込んだ‥‥」

 

推理小説では騙され続けているが、捨てたもんじゃないな。僕も。

 

「‥‥情報収集のためのプログラムをこの屋敷に置き‥‥」

 

よし。今後は注意深く生きよう。

 


「‥‥どうしてここまで七面倒臭いことをしたか、だって?野吾のやつの‥‥」

僕が悦ばしい気持ちを噛み締めているのに、犯人のやつがうだうだと動機か何かを
話している。

 


そういうのは断崖絶壁でやるもんだろ。

 


「‥‥全部話しちまったな。おい、名探偵君」

「おぅん?何すか」

『頼みたいことがあるんだが』

『僕に出来ることならば』

『娘の、真紀乃、つうんだが‥‥伝えてもらいたいんだ。こんな、こんな父さんでごめんな、と』

『‥‥貴方が直接、言ってあげてください』

『パパっ』

『ま、真紀乃!お前どうして』

『あの名探偵さんが、ここに来ればパパに会えるって』

『駒村‥‥いや、花岡君。僕に感謝したまえ』

 

「急に態度がでかくなったな」

「下らない話を振るんじゃないよ、全く。親子の再会を喜べ」

僕が嫌がる真紀乃を説得して連れ出してきた。
粋な計らいをする僕に、花岡は涙を向けて―。

いない。怒っている。

「し、しまった。自分の世界に」

「警察の人間じゃなきゃ、遠慮するこたねえ‥‥さようなら、春野君」

黒い物体が、目の前で光った。

―拳銃だ。

かちり、とトリガーに手を掛ける音がする。
僕は思わず、目を瞑った。

 


「ぐうっ」

発砲音、うめき声。
でも僕は、何処も痛くない。

恐る恐る目を開けると、花岡が左腕を抱えて、廊下から会場への扉を睨んでいる。
僕は、その視線を追った。

「公山さん!」

公山夫婦が、扉の前に立っていた。

助かった、救いだ!

僕が喜びに駆け寄ろうとすると、佳奈美が、待って、と小さく言った。

「春野さん。貴方は、そいつの仲間じゃないのかな?」

劇画のように陰影が付いた童顔は、一瞬の隙も感じさせない。

僕は、何度も首を振った。

「伏せて!」

公山の声。

「え?」

僕は、そんな急なことには対応出来ずに聞き返した。

 

すると、目にも止まらぬ速さで誰かに床に押し倒された。
遅れた右手を、何かが掠める。

「いって!」

血だ。弾丸か?

「大丈夫う?」

気の抜けた、若い女性の声。

「あ、朝香ちゃん?」

明るい色を注した口唇を、にっこりと歪ませる。

「駄目ですよ、呆っとしてちゃ」

「と、ととというか、皆さん一体‥‥」

もういい加減、わけがわからない。


「自己紹介の時間なんかないよ」

佳奈美が、極道の妻を思わせる言い方をした。

「くっ‥‥まさかてめえら」

花岡は銃を握ったまま、苦痛の表情を浮かべている。

「翠川さんはもう、この屋敷内の全てのコンピューターの回線を切ったでしょうかねえ」

のんびりとした口調で、公山が呟いた。


「き、切ったって。ぷちんって?」

慌てて言った僕の言葉は、余りにも間抜けだったらしい。

「いや、キーボードをかたかたと操作して」

「ああ!」

なーる。征子が途中で消えたのは、野吾がかたかたと操作しているパソコンを奪い、
かたかたと操作してテロを止めるためか!

つまり、征子は頭脳を駆使した役割。
わかってきたぞ。

 

「な、何!?野吾があの女に」

「征子さんを舐めない方がいいよ?」

僕の手を引き上げながら、朝香がくすくすと笑う。

「まさかお前ら、全員がグルだったとはな」

「ぼ、僕は一般人で」

「まだ捕まるわけにはいかねえ。ここで退散させてもらおうか」

 

聞いちゃいない。畜生め、怖いじゃないか。

「あーら、ここから出ても無駄よ?外には機動隊を集結させてあるんだから」

かつかつ、とハイヒールが床を引っ掻く音を鳴らしながら現れたのは、征子だ。

「貴方のお仲間ね、せっこい部屋で見つけたわ。あれでノアを名乗るなんて‥‥
 馬鹿みたい」

ノアって結局、何なんだ?

 

僕は目をうろうろとさせながら、顔を見渡す。

公山夫婦が、妙に重い表情をしていた。

「そうか、公山‥‥思い出したぞ。まさか本名で行動していたなんて」

背後で誰かが笑った。

「やっと思い出しました?僕ら夫婦は、野吾を恨み続けている。娘を、夏南(かなん)を
 奪われてから、ずっと」

公山から、静かな憎しみが漏れている。

僕がここに居るのは、とてつもない間違いだ。帰りたい。もう、謎の会食なんて
どうでもいい。

「ハムの愚かな行為により、息子のカナンがノアに呪われる。宿命のようにも、
 感じないか?」

「‥‥こじつけさ」

公山が、ゆっくりと花岡に歩み寄る。

突然、低周波の耳鳴りがしたと思えば、ぱつん、というゴムを切ったような音が
続いた。
何の音だ?誰にも聞こえていないのか?

ぼんやりと顔を上げると、花岡は中腰で目をひん剥いていた。
公山が、腕を後方にねじ曲げて、動きを止めている。

顔が真っ赤になっている。今にも破裂しそうだった。

「はい、たーいほ!」

朝香がそれに近付き、楽しそうに手錠を掛ける。

「やっと‥‥」

力の抜けた声で、佳奈美が言った。

僕は、何が何だか理解も出来ずに、ただ立ちすくんでいた。

皆の注意が、花岡の方へ向かっている。

今しかない、と思った。

 

 

「春野さん!?」

春野健悟が翠川征子の方に飛び掛った所で、私はくすりと笑った。

春野を呼んだのは、利用するために他ならない。
隣人の大学生に催眠術を掛けた上で、このパーティーに呼び出したのだった。

まさか武器を持っていないとでも思ったの?

春野が拳銃を奪う。撃つ。血飛沫が上がる。

単なる大学生だと甘く見ているのだろう。
ヤツは催眠プログラムで行動している。長い時間を掛けて、今日の日に備えてきた。


「ノアの敵うと思ってるのかしら。ただの人間の分際で」

 

 

「誰がノアだって?」

僕の声に、葵ははっとしたように振り返った。

「春野・・・・健悟?どうして」

明らかに狼狽の色が浮かんでいる。僕は笑った。

 


書いたものから小出しに載せていきます。


<2017/12/22追記>続きはないようです。