地獄の回想録

2006年からやっているブログの記事を機械的に貼り付けました。

2007/09/26 13:02

『間に合わず 中秋の名月

 

兄がクエートに取材に行ってから数日が経った。
帰るやいなや国際電話を試みる父。
無理だと言っても聞く耳を持たない。
兄の無事を祈り毎日仏壇に手を合わせている母。
仏壇は死者にお願いをするものなのだろうか。
祖母は痴呆てしまっているので、私のことを兄と間違える。
祖母は私よりも、兄を愛していた。

ある日、兄が爆撃に巻き込まれて死んだという連絡が入った。
友人のカメラマンの制止も聞かずに、深入りしたらしい。
父は日本を出た時の兄の言葉を復唱した。
兄には伝わらない。
母は声を上げて泣いた。
兄は仏壇へ。
祖母は何ともつかぬ表情で私を見た。
兄だと誤解して。


父は、喫茶店から会社のビルを毎日見上げていた。
私が見ていたことに気付かないのだろう、毎朝スーツを着て行ってきます、と出ていく。
母は、相変わらず仏壇の前で手を合わせている。
2枚遺影が増えて、その分正座している時間も増えた。

私は、兄の友人のカメラマンに連絡を入れた。
写真を焼いてもらい、郵便で頼んだ。
見慣れぬクエートの渇いた風景。
見知らぬ傷付いた子供たち。
死に行く軍服の男たち。
ほほ笑む若い女。
転がる死体。
兄の姿。
変わらない。
楽しそうに笑う。
少し色黒になったか。
カメラに、笑顔を向ける。
時間が少ないとも知らずに。
全ての写真裏に、メモがある。
日時や場所、状況が几帳面に。
カメラマンが書いてくれたのだろう。
『12月5日19時14分 〇〇地区』
兄が死ぬ1時間前の写真は、夜空だった。
星ひとつない夜空に、不思議な満月が浮かぶ
『「今日は一段と綺麗だ。」と陽二は言っていた。』

中秋の名月
写真よりも少しぼやけた満月が、世界を照らしている。
兄が記事にしようと書いたクエートでのレポートは、兄と一緒に焼いた。
悲しくなるから、と母が私の手からレポートを取り上げたのだった。
だから、兄の残したかったものはない。
兄が伝えたかったものは、月の美しさなんかではなかった。
月は戦渦の惨状における、ただの灯りに過ぎなかった。
でもその月を綺麗と言えた兄のことを好きだなぁと、思った。