地獄の回想録

2006年からやっているブログの記事を機械的に貼り付けました。

2007/11/05 19:23

『避暑地の夜中』

 

ギャグです。
「雨天決行」の前の話という扱いです。

 

とあるペンションで深夜、拳銃を使った殺人事件が起きた。
殺されたのは男で、3階建ての山荘の、窓を望む外側に倒れていた。
頭を一発。弾はぎりぎりの所で頭に残っていた。拳銃は発見されていない。


空には暗雲。普段は清々しい避暑地でも、雨雲に殺人なら酷い圧迫感だ。

刑事、坂本雅は後輩の逸馬正太郎と共に現場に訪れていた。
既に遺体は鑑識に回されていて、焦げ茶色の地面に人型のロープが張られている。
血は、余り飛散していない。

「よかったですね、雅さん。今回は死体ありませんよ」
死体が苦手である雅は、複雑な表情で逸馬を見た。逸馬はいかにも好青年らしい
童顔で、見る度ににこにこしている。何を言う気もなくして、小さく息をついた。

「で、事件の状況は?」
「あ、はい」
逸馬は、手帳を取り出して説明を始めた。


「ここから窓が見えますよね。被害者はここで撃ち殺されているので、あの窓から‥‥
 という線が濃厚です」
雅は、山荘の壁を見上げた。窓から鑑識の姿がちらちらと見える。

「1階は客室じゃなく、風呂場になっています。使ってない時は管理人が
 鍵を閉めているそうですし、覗き防止の為の塀があるので1階から撃つのは
 不可能ですね。で、2階。ここには被害者の元カノが泊まっていました」
「偶然?」
「いえ、被害者が依りを戻そうと着いてきたそうです。彼女の方にその気は
 なかったそうですが。ちなみに、午前1時頃に、彼女は銃声で目覚めています」
犯人はサイレンサーを付けなかったのか、と雅は思った。
付ける意味がなかったのかもしれない。もしくは、単純に持っていなかっただけか。

「そして3階、ここは被害者と全く面識のない輸入業をしているサラリーマンが泊まっていました」
「そのふたりが容疑者候補、かな」
被害者の顔見知りであり、付きまとわれている2階の女。彼女なら、動機がいくらでも思い付く。
ただし、動機だけだ。そんなもので事件は解決しない。
「ですね」
鑑識の女が近付いてきたので、逸馬は取り敢えず手帳を閉じた。

「毎度ご苦労様です」
顔馴染みの鑑識員で、雅に向かって敬礼をした。雅は軽く頭を下げる。
一拍遅れて逸馬も礼をする。
司法解剖の結果が出たのでお知らせに。ええと、死亡推定時刻は午前1時から2時の間です」
華奢な身体からは想像もつかないような低い声で、鑑識員は言った。
「彼女の証言の通りか」
逸馬は頷く。
「被害者は銃での傷の他に、何処かから落ちた後がありました。背中からですね」
「誰かに落とされたのかな」
「そこまではわかりません。それと、ここからが重要な情報です」
にやりと、何処か意地悪そうに笑った。
「何?」
「弾の角度からいって、銃が発砲されたのは地面から、ちょうどあそこに当たる
 距離の所です」
指の先に、2階の窓がある。女の泊まっていた部屋だ。
「ふうん」
「やりましたね。あの女に何処で拳銃を入手したのか吐かせれば、
 銃のルートの方も見付かる。頑張って下さいよ」
ひらひらと手を振りながら、鑑識員は去っていった。その姿を見届けた雅は、溜め息をつく。

「ルート‥‥か。そうだ、仮に彼女が犯人だったとして、拳銃は何処で手に入れたんだろう」
「簡単に手に入るものじゃありませんけどね。まあ問い詰めれば」
「落ちた跡も気になるけど」
雅は、ふらりと横を向く。1階を遮る塀に目が止まった。レンガで出来ていて、
それなりにお洒落である。
「ん?」
塀に近付いた。塀の上には、茶色い土が少し乗っている。
「どうしたんですか?」
逸馬の言葉に返事はせず、雅は左手を頭に置いた。上を見ると、2階の窓に取り付けられた
柵が目に入る。
雅の頭にひとつのイメージが浮かんだ。顔を上げて、振り返る。
「逸馬、あいつ呼び戻して。雨が降る前にね」

 

「いい加減解放して下さいよ。この子が撃ったんでしょう?」
3階の客である辰谷礼生(れお)がわめいた。
「何でよ‥‥あたし何もしてない」
2階の客である綿島代(しろ)が泣きそうな声で言う。
「もう少し待っていて下さい。鑑識の結果が出る所です」
「雅さん!」
逸馬がペンションに飛び込むように入ってきた。雅は期待に笑う。
「どうだった?」
「確かに、被害者の足跡でした。指紋の方も出ましたよ」
それを聞いても、後の人間はきょとんとしている。
「何なんだよ」
「まあ、もうちょっとの辛抱ですから」
つまらなそうにぼやいた辰谷を、逸馬は笑いながらなだめた。
全員が口を閉じる。雅は、口角を持ち上げて言う。

「署までご同行願いましょうか‥‥辰谷礼生さん」
辰谷は、びくりと肩を跳ねさせた。綿島は何のことだかわからず、ただ辰谷を見た。
「ど、どういう意味ですか?」
神経質そうな一重を、雅に向ける。動揺は目に見えていた。
「あなたが1番わかってらっしゃる筈ですが」
綿島には、辰谷が息を飲む音が聞こえた。
「あの夜、あなたは3階の窓から下に向けて拳銃を発砲しました」
雅の言葉に、辰谷は嘲るような笑い方をする。
「はん。だから、さっき鑑識の人が言ってたじゃないですか。弾の角度からいって
 2階からだったんでしょう?」
「では、現場検証でもしてみましょうか。皆さん、外に出て下さい」
逸馬が、何処か楽しそうに扉を開けた。


現場。辰谷に綿島、他に警察官、ペンションの従業員や客が何人か集まっている。
「この覗き防止の塀。1階全てを覆う高さで、壁から10センチ程の隙間があります」
「そこから俺が風呂を覗いたとでもいうんですか」
「覗きが出来る程あなたは薄っぺらくないし、風呂場は夜中は鍵が掛かっています」
勿論辰谷は冗談のつもりだったが、雅は至極真面目に答えた。
辰谷は顔をしかめ、黙り込んだ。
「今からこの逸馬君に、事件当夜の被害者の行動を再現してもらおうと思います」
「わかるんですか?」
不安そうな綿島に向け、雅は笑顔を作った。

「被害者は180センチと長身ですが、逸馬君は177センチ。厳密にいえば違いますが、
 勘弁して下さいね」
塀に近付き、手を置く。血飛沫は掛かっていない。
「この塀も180くらいです。さあ、逸馬」
「はい」
逸馬が塀に手を掛ける。肘の部分まで伸ばせるくらいの余裕があった。
そして、レンガに足を掛けて上っていく。辰谷たちが呆然と眺める中、逸馬は塀の上に
背を向いて立ち上がった。手は、2階の窓の外の下半分に付けられた柵を掴んでいる。

雅は、塀にもたれて辰谷を見た。
「被害者はあの夜、このような体勢になっていました」
「どうしてわかるんですか」
ふて腐れたような辰谷が言う。雅は上を指差した。
「ご覧の通り、ここに上ると掴まれるのはあの柵だけです。あそこを調べると被害者の指紋が
 出ました。しかも、塀の上にも足跡が残っていまして」
「だから何だって言うんですか。俺がやったっていう証拠には」
そこで辰谷は、言葉を切った。雅はにやりと笑う。
「先程あなた、言ってしまいましたよね。被害者は2階の角度から撃たれている、と」
1階の位置に被害者、2階に犯人が居るのと、2階の位置に被害者が居て、3階に犯人が
居るのとでは変わらない。それは、塀の上の男が証明している。
「塀の上に上っていた被害者を撃ったんですよね?辰谷さん」

辰谷は、口唇をわななかせて雅を睨む。そうしている内に、膝から崩れ落ちた。
「雅さあん、もう下りていいですか」
逸馬が、場に似合わぬ声を上げた。
「うん」
慎重に、逸馬は地面に下り立つ。
「‥‥びっくりしたんだ」
辰谷が、小さな声で呟いた。綿島は、何故か目に涙を溜めている。
「何?」
「あいつ‥‥俺の取引現場を探りに来たんだと」
「‥‥後は署で聴くよ」


*


逸馬は、車を運転しながらひとつの疑問を尋ねた。
「辰谷が綿島さんに犯行を押し付けられた、あの弾の角度の話ですけど」
「あれは偶然だよ。辰谷は気が動転していた。急に思い付くことじゃないし、成功率も」
「それはわかってます」
雅の気怠そうな言葉を遮る。不思議そうな顔で逸馬の横顔を見た。
「そうじゃなくて、どうして被害者はあの日、あんな所に上ったりしたんでしょう。
 そんなことしなきゃ殺されなかったのに」
段々と声が重くなっていく逸馬に、雅は笑った。
「綿島さんの部屋を覗くつもりだったんだろうね」
―馬鹿なことだ。
車は、荒い動きで雨の避暑地を抜ける。
「でもそうしてくれたから、拳銃犯罪が未然に防げた」
「雅さん‥‥冷酷ですね」

少しの間があり、雅は素っ頓狂な声で言った。
「‥‥何で?」
空には暗雲、山々に響く雷鳴。
今夜は治まるだろうな、と逸馬は思っている。


「逸馬」
「何ですか?青い顔して」
「運転下手過ぎ。替われ」
雨を見越した雅は、顔をしかめながらハンドルを握った。