地獄の回想録

2006年からやっているブログの記事を機械的に貼り付けました。

2012/06/21 20:35

『ルナティック』

「変な顔してるな」
 二十年に一度の年だというので焦燥感に襲われている。二十年しか生きていないし、来年地球が滅ぶことは確定事項なので俺が体験する二十年に一度はこれが最後なのだ。
 だから、世界中が焦っている。タケウチが言うのだから間違いない。タケウチはここらで一番の秀才だし、親父は外交官でお袋はウシガエルから夜尿症の特効薬を作り出した人だ。都会からタケウチと婆ちゃんとで疎開してきたが、まだ大学に籍は置いているらしい。同い年なのにかなり額が広い気がするが、結構端正な顔付きだから女には不自由してない。遊び人だった。
 そのタケウチが言うのだから間違いない。この一年は、とても大事な一年なのだ。
 その所為で生じる遣り切れない居心地の悪さに苦しめられている。一年は短い。あっという間に俺たちは死ぬ。でも何をすればいいのか、皆目見当も付かない。
 取り敢えず今晩は通夜だ。予定の入っている日なら、こうしてモニターを睨んでいても罪悪感を覚えない。
 両親は二十年に一度だからと言って、よく外出した。冷え切った夫婦仲も気持ち悪いくらい沸かし直されて、やばい薬でもキメてきたかのような面して帰ってくる。にやにやへらへらして、そんな阿呆面引っ提げて余所さまに会ったのかと思うと不肖の息子ながら恥ずかしい。でも今は何処も、そんなもんだと聞く。
 俺はこの二ヶ月くらい靴に足を通していない。タケウチも似たようなもんだとモニターの中で言っていた。しかし向こうは婆ちゃんを介助しなくちゃならないから、きっと俺に合わせて方便を言ったんだ。俺の世界は今、気持ち悪い両親とパソコンの向こうのタケウチだけで構成されている。それでも手に余る。要らないものが多過ぎる。
 必要なものがない。
 だが必要なものはない。
江莉子ちゃんに会ったよ」
 江莉子は県会議員の娘だからちょっと高慢だ。でも仲良くなれば結構いい奴だから俺は江莉子のことが、多分、好きなのだ。さらさら鳴る黒髪に悪戯で指を通した時、俺は気付いた。俺はその夜中々眠れなかった。
 江莉子は楽園を求めていた。だからいつも憂いを帯びた目をしていて、俺は見る度寂しいような悔しいような気分になる。
 奴は馬鹿だ。この地上の何処にもユートピアなんかない。そんなものは幻想に過ぎないのに、この世に甘んじる俺たちを見下している。
 タケウチが来てから、余計にそれは激しくなった。江莉子はあいつを楽園からの使者と勘違いしているのだ。あいつはただの半端者だ。もう何処でだって、暴動なんか起きちゃいない。なのに都会に帰ろうとしない。おかしいじゃないか。
 しかしユートピア思想も大分流行りものらしい。江莉子ばかりが馬鹿とも言えない。薄ら馬鹿のような連中が世にごまんと居るのだ。そしてきっと俺もその中のひとりだ。だから二十年に一度にこんなにも脅かされている。
「美人だね。お前のこと話した」
 俺は俺の悪徳を嫌になるくらい自覚している。話されて楽しいことなんてない。
「馬鹿な幼馴染みだって。いいね、そういう関係」
 お前は何もわかっちゃいない癖に。時が経てば幼馴染みなんて関係は自然に構築されていく。問題は馬鹿の方だ。あいつは俺を厭い憎み忌み嫌っている。俺の悪徳を誹り罵り軽蔑している。それが馬鹿の一言に凝縮されている。情あっての馬鹿ではない。何故ならあいつは江莉子だからだ。
 だが俺はもう江莉子の声すら思い出せない。
「俺のこと好きだって言うからさ」
 江莉子が美人であったか定かでない。
「実は」
 美化した思い出に縋り付いているだけだ。
「昨日ね」
 モニターに映った俺の顔が醜く歪んでいる。確かに、変な顔してるな。

 ●
      
 爺さんは無抵抗だった。最初こそ口にガムテープを貼っていたが、あんまりにも無抵抗だから気の毒になって今は外している。
 俺が喋らないと波の砕ける音と海鳴りだけが廃墟に響いて、寒々しい。海の家ってこんな場所だったかな。盛りを過ぎれば忘れられたも同然なのか。
「爺さん」
 耐え切れず口を開く。
「爺さんどうしたんだよ」
 爺さんは椅子に括り付ける縄に身を預けるようにして、俯いたままだ。
「おい」
 ぴくりともしない。
「爺さん、死んだか?」
「ああ」
「生きてるわ。いい加減にしろよ。逆らったら殺すからな」
「ああ」
「理解出来てんのかよ。ボケた振りすんな」
「ボケる歳に見えるのか、糞餓鬼」
 喋ったと思ったらこれだ。銃向けられた人間の態度じゃねえよ。最近の爺さんの度量はどうなってんだ。狂ってんのか。
 仲間が戻るまであと三、四時間はある。へましたら無線に連絡が入るようになっている。
 順調に事が運んでいるのか気になるが、俺の役目は爺さんの監視だ。一番楽で、一番面白くない。おまけに俺は銃なんか撃ったことはないから、屈強な爺さんに抵抗されても撃てる筈がない。度胸が足りない。出来るなら人殺しは御免だ。下っ端から脱却出来ない気がしてきた。
 希望はないし、先はない。来年訪れる死までの冒険に過ぎないから、下っ端でも何でも構わない。一期は夢よと聞いたから、先人に倣うことにした。俺の人生にオチを付けたいんだ。逃避でも悪足掻きでも暇潰しでも、どうとでも名付ければいい。台詞のひとつもなく主人公に撃ち殺される奴、あれが俺だ。
 その志のない下っ端に教えられている情報なんか皆無で、この爺さんがどんなに凄い奴なのかも全くわからん。俺にはただのおっさんにしか見えないが。
「煙草吸うかよ」
「ハッカは」
「ハッカ?」
 爺さんは呆れたように鼻から長い息を吐き、またむっつりと黙り込んだ。ハッカって何だっけ。首を傾げながら火をつけて、唯一開け放した厨房の小さい窓に向かって煙を吐き出す。
 そろそろ陽が沈み出す時間帯だ。月が海から昇るものかわからん。夕陽が沈んでじゅっと鳴る、とかいう詩的な表現は古典の教科書で餓鬼の頃読んだが、月が昇っても何も鳴らねえだろう。あの衛星は多分冷たい物質の塊だ。真昼の青空に霞む月に、俺は触れたことがあるような気がした。まともに見たことすらない癖に。
 しかし、二十年に一度なのか。やばい依頼を熟しているとは思えない程ぼんやりとした頭でふと思い出す。二十年生きてきて、最初で最後の二十年に一度だ。そう言われると見たくなくなるのが俺だ。
 今日は、見られるだろうか。
「爺さん」
 返事はない。
「外見る?」
「いい」
「何で。もう見納めかもよ?」
「あんなもんは見ても虚しくなるだけだ」
 そうか。こいつは知ってるんだ。おれの知らない二十年前を。
 でももう二度と、二十年に一度は来ないんだ。地球が終われば、あれも終わる。共に死んでいくあれに思いを馳せたって、無理もねえよ。
 俺が生まれた頃は地球の何処も、暴動やら犯罪やらで荒廃していた。なのにこの一年は、俺たちも最後に輝いてやろうぜなんていうチープな文句が流行して、俺の知らない日常が取り戻されつつある。理由は阿呆臭いが、結果オーライだ。いかれた商いがマイノリティである世の中を守ったのだから。
「ロマンチックな爺さんだな。ただ在るものをそのまま受け入れればいいんだよ」
「欺瞞だ」
「悪いかよ」
「偽物だ」
 爺さんは言葉が足りない。俺がわからんのを承知で言ってるんだ。爺さんと俺の言語は違う。爺さんはハッカを言い換える為の語彙を持たないし、俺はそれを理解する為の基盤を持たん。同じ環境に生きたってそういうことはある。
 俺と爺さんの間には深い溝がある。越えられない壁がある。
 越えてどうすんの。
「偽物の何が悪いんだよ」
「わからんのか。哀れな若者だ。希望を持て。自棄になるのが格好いいと思うな。生きろ」
 温厚な俺もちょっといらいらしてきた。優位に立つのは俺の筈なのに、何だか爺さんの手玉に取られているような気がしてならない。
「爺さん、あんたずっとそんなんなのか」
「ああ」
「子供に嫌われてたろ」
「だからこんなことになっても心配されない。気楽だ」
 爺さんは自嘲臭い笑みを浮かべる。とうとう笑いやがった。己の生殺与奪を握る人間が眼前に在りながらだ。
「あんた狂ってるよ」
「昨日もそう言われた」
「誰に」
「娘に」
「何で」
「婆さんを殺したからな」
 俺は何だかでかい声をあげて一歩跳ねるみたいに退いた。ぴょんっと。漫画みてえにクソ真面目に飛んだ。
「嘘だろ」
「つまらん嘘だな」
「まじかよ」
「事実ではある」
 感嘆の息が洩れた。俺の予想の斜め上を行く爺さんだ。やはり被害者と加害者なんてコインの表と裏なんだ。状況と契機でどちらにでもなり得る。転び方次第だ。今回偶々俺が加害者、爺さんは被害者になった。頭ん中で十円玉がぐるぐる回る。
「動機は」
「嘱託殺人だ」
「食卓?」
「頼まれたんだ、婆さんに」
「頼まれたからって殺せるかね?」
「銃なんか握っておいて、随分情け深いな」
「違えよ。可能か不可能かじゃなくて、人に頼まれたからって人生棒に振るようなこと出来るかってことだよ」
 爺さんは一瞬目をかっ開いて、頷きながら俺の顔をしげしげ見つめてくる。俺は何かおかしなことを言っただろうか。至極真っ当だと思う。犯罪者の耳には痛いか。
「お前はどうなんだ」
 耳に痛いご意見だ。
「俺はあれ。若いからいいのよ。分別の付かねえ若者だから。格好よく死んで、終わるよ」
「笑いごとじゃない。お前の先を考えろ。大事なことだ。テロリスト気取ってどうする?」
 テロリストじゃない。偶然俺たちに破壊活動の依頼があっただけだ。俺たちはただの、諦観した振りしたチンピラ集団なのだ。
 今回の依頼だって、金目的で受けたわけじゃない。何かでかいことをやってから死にたかっただけだ。
「あんたに説教される筋合いはねえよ。人殺し」
 むかつく爺イだ。俺のことは俺が一番よく知っている。どうしようもないって気付いてる。どう足掻いても行き着くのは、来年の終末ではないか。他の連中が日常に、二十年に一度に逃げるのと同じように、俺は捨て鉢な方向に逃げてんだよ。
 怖かったんだ。俺の知らない平和の元で生きていける自信がなかった。なら死に逃げる方が、ずっと楽だ。
「人殺しの含蓄ある言葉だと思えないのか」
「頭沸いてんのか、爺さん」
 こいつは刑期を終えてんだろうか。頼まれて殺ったんじゃかなり酌量の余地があると思うが、爺さんにやつれた様子が全くないから刑務所暮らしも疑わしい。全てはたった一週間前の出来事で、逃走五日目くらいだったらまだわかる。それでこの精神状態なら、やっぱり爺さんは狂っている。
 あと三時間もこうしてふたり切りなんて、最悪だ。失敗でも何でもいいから連絡はないもんかと無線機に目を遣るが、それで鳴る筈もない。順調なら、結構。
 煙草はろくに吸わないまま燃え落ちていた。長い溜め息を吐きながら痛んだプラスチックの椅子に腰掛け、もう一本火をつける。ハッカって、あれだろ。飴だろ。俺あれ嫌いなんだよな。爺さんは煙草より飴が欲しかったのか。
「一本寄越せ」
 爺さんもちょっと気まずいのかも知れん。タイマンの距離感というのは繊細だ。しかしもっと被害者然としろよ。
「ハッカじゃねえぞ」
「それがいいんだ」
「いや、ハッカって何だよ。飴?」
「違う。女の吸うのあるだろ」
「あ、何。メンソール?メンソールじゃねえよ。何だ、ハッカってメンソールかよ」
 言語の壁を越えた。まさにメンソールの清涼感。そうかそうかと納得しながら腕だけ解いてやる。
「いいのかよ」
「逃げねえだろ」
「人殺しだぞ」
「何とか殺人なんだろ。いいからもうさ、ほら、ライター」
「つかん」
「何か上に突起あんだろ。それ押し込みながらつけろよ」
「あ?」
「手の掛かる爺さんだな」
 必要以上に近寄って火をつけると、爺さんの口角が微妙に持ち上がる。心内が透かされたような気がした。やっぱり縛っておけばよかった。
 爺さんは思い切り煙を吐いてから、悪いなと悪びれずに笑う。こいつを虜と思うのはやめよう。こいつは近所の老人だ。殴られたら死ねるくらい逞しい、ただの人殺し老人だ。泣きたくなってきた。
 小屋いっぱいに煙を満たし、いい加減に月が出るかとふと思う。味の素の主成分よりもどうでもいい存在が、今日はやけに気に掛かる。生来の気質なんだろう。久々の静かな夜に感じる寂しさを、もっともっと寂しいもんに託して誤魔化したいんだ。煙草がいつもよりも早く燃え尽きてしまったような気がした。
 爺さんの腕をまた縛らねえと、と頭の端では思いながら背もたれに身を預けて煙の消えて行くのを眺めていた。窓から差す光を受けて濁って揺らめく煙は美しい。
「ああ、嫌だ」
「嫌だろうな」
「嫌だよ。俺は間違ってないよな?」
「自分で判断しろ」
「してるよ。でもわかんねえんだ」
「客観的に見れば、今のお前は自棄糞って言葉を借りて前を向くことから逃げている臆病者だ」
「どうせもう前なんかねえじゃねえか。地球滅亡するって、爺さん知らねえのかよ」
「しないさ」
「は?」
 埃を掻き乱したような雑音が鳴る。散々ざあざあ言ってから、小さな声がした。先輩の声だった。反射的に立ち上がる。
「は、はい」
『ああ、糞。内田がとち狂った。ミサイル全部無駄撃ちしやがったわ』
 先輩の荒い呼吸がうるさくて聞き取りにくい。必要以上に危機感を煽る。
「い、一発もないんですか」
『ない。達成は不可能だ』
「ど、どうするんですか。そんなこと」
『お前にしか出来ない。頼まれてくれ』
「は。何をしたら」
『何でもするか』
「今更何です」
『よし、死ね』
「何ですか?」
『死ね』
「し?」
 死ね、と先輩は繰り返した。
『俺たちの役目はもう終わりだ。こんだけ暴れておけば依頼人の言う反体制的暴動ってやつはクリア出来たんじゃないか。あとはもう一息だな』
 何を言っているのかわからない。既に失敗したんじゃねえのか。
『依頼の目玉だ。衛星管理棟の破壊だ。あれさえ壊れればミッション達成、その混乱に乗じて俺たちも逃げられる。悔しいが最終手段だ。死ね』
「意味が」
『爺さんを脅せ。俺たちはもう遣り切った。衛星管理棟を破壊しろと』
「それで」
『あとは爺さんに任せろ。どうせ俺たちは来年死ぬんだ。今更何びびってんだよ。死は誰にでも訪れる。生と死にボーダーはない。お前いつも言ってただろ?死にたいって。今がその時だよ。俺たちもどうせもう直ぐ逝く。心配するなよ』
 そんな言葉が聞きたいんじゃない。唐突に過ぎる。手に汗が滲む。
『わかったな。お前に任せたからな。今生の別れだ。頼んだぞ』
「は」
『頼んだぞ』
「はい」
 ぶつり、と通信が途切れた。先輩が切ったんだろう。切れたわけじゃない。切ったのだ。俺に全てを託した。押し付けた。
「爺さん」
「残念だったな」
「わけわかんねえんだけど」
「笑いごとじゃない。お前のことだ」
 爺さんは目を細めて俺を睨む。頭が回らない。だらしない笑いが口を突いて出る。
「あんた何なんだよ」
「人殺しの超能力者だ」
「ここに来てエスパーとか、ねえだろ」
「最初からエスパーだから仕方ない」
「何が出来んだよ」
「物体と人間を同調させて破壊する能力だ。人間がリモコンになって、それを殺せば物体は壊れる。逆も可能だ。だから人殺しの超能力だ」
「嘘だろ」
「つまらん嘘だな」
「まじかよ」
「事実ではある」
 先輩はハナからこのつもりだったんだ。だから俺をここに配置した。下っ端の使い捨てだから。ムードに流されて先を捨てる馬鹿だから。
 そもそも作戦にだって無理があった。内田さんがしくじらなくたって、俺たちみたいなチンピラが武器持ったところで、何が出来るんだ。
 先輩たちは始めから、集団自決がしたかっただけだ。俺と変わらない。行動的だっただけだ。俺よりもずっと現実的なスピードで、先輩たちは格好よく死のうとした。
「で、俺を殺して管理棟を壊すってことか。信じらんねえ」
「何がだ」
「全部だよ。馬鹿じゃねえの。何で俺に任すの。俺は誰にも知られねえまま爺さんに殺されんだ。超能力爺さんに」
「超能力は信じるのか」
「信じたくねえよ」
 こんな汚ねえ、何処にでも居るような爺さんが超能力者だなんて信じられない。
「なら信じるな。超能力なんか存在しない」
「どっちだよ」
「お前が決めろ。死ねば本当かわかるぞ。死んでみるか」
 冗談なのか本気なのかわからない。冗談だって関係ない。俺は死なねばならない。俺は託されたんだ。どうせ捨てた命が、今更惜しいか?
「汗だくだぞ」
「涙だよ。毛穴から涙が出てんだ」
「何で」
「こんな死に方するだなんて思ってなくてさ」
「死にたいのか?」
 爺さんはいつの間にか脚の縄も解いてやがって、俺の座っていた椅子にもたれて首を傾げる。
「どうなんだ?」
 どうせ消える命が、今更惜しいか?名残はない。ここで死に損なえばまた苦しむ。それでも俺は思ってしまう。
「・・・・人生左右する結論出すには早急過ぎねえか」
「同感だ。お前は何もかも早過ぎるんだ」
「でも先輩たちが待ってる」
「お前自分で言ってたじゃないか。人に頼まれたからって人生棒に振れるかよって」
「逃げろって言うのか」
「逃げて何が悪いんだよ。赤穂浪士って知ってるか。忠臣蔵の。あれにはな、討ち入りの直前に逃げたって言われてる奴が居るんだ。不義士とか言われたりもするけどよ、だからなんだよ。討ち入り果たして人殺して、腹切った奴が偉いのか、生き延びた人間が悪なのか。誰が結論を出せる?」
「自分だ」
「そうだろ?」
「乱暴だな」
 歴史の話すりゃ説得力になると思ってやがる。それでも俺を励ますのは、きっと、俺がその言葉を強く欲していたからだ。何処までも日和った下衆だ。それでもまだ、生きている。
 爺さんはおかしそうに笑って、追い払うように手を振った。
「遠くに逃げろよ。衛星管理棟が無事な限り、お前は無事じゃ居られないだろ。ぶっ殺されるかも知れないぞ。例の先輩らに」
「爺さんは」
「いいから早く行け。生きてる内に」
 急かされるまま身ひとつで、風化しかけた木の戸を開き砂浜を踏む。静かな潮騒が仰々しく響く。遥か遠く、青い海の上に船が一隻浮いていた。見知らぬ街に放り出されたような心細さがどっと襲ってきて、暫く歩けずに居た。
 ポケットに手を突っ込んで、一本切りになった煙草に触れる。ライターがない。小屋に忘れたらしい。ライターごと爺さんにくれてやろう。つけられないだろうけど。振り返り、再び戸を開けた。
「爺さん、餞別だ」
「あ?」
「は?」
 窓から差す陽光に遮られてシルエットだけになった爺さんは、間抜けに口を開いたような気がする。
「戻るの早いだろう。折角格好付けたのに」
 不服そうに呟いた手に、見覚えのあるものが握られていた。
「俺の」
「物騒なもん忘れて行くなよ」
「何してんだ」
「自己犠牲ってのが好きじゃないんだ」
「は?」
「後悔してるんだわ。婆さんを殺して隕石を壊して、孫の生きる世界を守るよりも、婆さんと一緒に死を待つ方が俺はずっと幸せだったろうってな」
「え?」
「でも婆さんは心から、自己犠牲を望んでた。羨ましかったよ。俺なんかは、生きてる方が尊いって、そうとしか思えないんだ」
「それでいいじゃねえか。なあ」
 爺さんの口唇が俺の知らない誰かの名を呼ぶ。
「餞だ。これでちゃんと本物の月の下で、大手振って歩けるな。そういう生きてる感触を大切にしろ。土の匂いとか、旨い飯とか。もう夕食時だな。腹が、減らないか?」
 手元が弾けるように光って、俺の背後で何かが弾けた。不意に瞑った目を開けた筈なのに、何故か煙草と硝煙の混じった臭いが鼻を突いただけだった。闇の中で手をおろおろと振り回して、小屋の扉を何とか開ける。
 青白く冷たい砂浜を、掌で踏み締める。俺の知らない冷たい光が、砂浜からゆっくりと小屋を侵していく。長かった今日が、
「終わった、のか」
 仰いだ空には二十年に一度の。

 ●
 
「実は昨日ね、江」
 かちんと音が鳴って、ネットワークが切断された。モニターを睨む変な顔の俺と目が合ってしまった。溜め息を吐いてモデムを少々いじるが、通信が再開される様子はない。
 窓に目を遣れば目を瞑ったような暗闇。街灯ひとつついていない。当然だ。二十年前からあれはオブジェだった。
 地球の終わりが前倒しされたのか。しかし家々の灯りは消えていない。衛星がやられたのかも知れない。
 終末騒ぎで起こる暴動を鎮める為に政府がとった対応が、人工衛星による統制だった。全てのネット回線はひとつの人工衛星を通り、二十四時間体制で危険分子を排除する監視が行われている。また夜の闇に乗じて行われる犯罪の数を鑑み、その衛星に照射機能を搭載した。
 夜でもまるで昼のように明るい。
 恐怖があった。狂気に満ちた。
 でも直ぐに順応した。夜なんか邪魔にしかならないくらいの奴も居る。忙しない風潮が根付いていたから。
 歴史の教師は二十年前の日本をそう語った。寂しげに、目を細めた。
 どうも夜が来たらしい。
 鍵を開き、階段を下る。慌ただしい声が飛び交っている。俺を見ると、的を絞った蜂みたいに突っ込んでくる。
「衛星管理センターが爆発したって」
「おい、これからお義母さんの法事だろ。どうするんだ」
「で、出来るわけないから!こんな暗いのに、出歩けないでしょ!」
「ヒステリック起こすな!落ち着け」
「ああ、あの気狂い親父の所為!何処行ったのよ、早く捕まって、死刑にでもなればいいのに!」
「おい、子供の前でそのこと言うのはやめようって」
 下駄箱に手を突っ込む。革の匂いを避けて、真新しいスニーカーをしっかりと掴む。
「ねえ!何処に行くの!」
「危ないから出るな、こら!」
 暗い。暗い。明るい。明るい。
 俺の知る闇も光もこの夜にはない。
 とうの昔に失われた静謐に俺は在る。
 変にほっとするようで、焦燥はなかった。
 冷たい地を踏み、俺はゆっくりと丘を昇る。
 黒の中に浮かぶ円はやっと光を取り戻す。
 二十年に一度の大接近の迫力で以て。
 少しだけわかったような気がした。
 あれは確かに、届かない楽園だ。
 息を荒げて、丘を駆け上がる。
 履き慣れない靴の違和感。
 生きているその感触。
「遅かったじゃない」
 穏やかな今日が、
「久しぶり」
 始まる。

 

 ● 

2011/12/22 15:13

『ゆふづつ』

 偏屈な奴と言う時の表情に近い。悪い夢の中で会ったような顔で、目ばかり細めて大口を開けて俺を見る。
 俺の疲れているのを知られたくなくて、血の足りないというか、息切れする家系のにんげんなので、早く死んでくれればいいと思う。
 ひゆうひょろろと息をして、水の途切れるような音があって、それでもまだ白目が白目らしい自負を持って輝いているので、余り宜しくない。
 俺は昔から白目が苦手で、白目を見ると刺し貫いて抜き出して白くないようにマッキーなんかで塗り潰して返してやろうかと思う。結婚しようと思っていたので、白目は白いまま美しい。
 元々白という色は眩しくて好きじゃない。だから白無垢もウエディングドレスもやめようと言ったら、本当に偏屈と言った。俺は素直にもの申したのに、偏屈とは心外だ。
 俺の家系は目が弱いです。曾祖父の遺影も祖父の遺影も母の俺を抱く写真も皆嫌な顔をしていて、俺の卒業写真もご多分にもれず嫌な顔をしている。
 この間いも農家の取材とかでテレビが来たから、嫌そうな顔を全国に大公開。俺の先祖はきっと後悔している。お天道さまに顔向けできるような行いをしておくんだったさ。
 黒でいいじゃないと言ったら、黒なんかないわと喚いた。いも農家の嫁になりたいと言うのだから、白じゃなくてもいいじゃない。
何だか知らんが、昔から考えていた計画があったらしくて、白いのがいいらしい。俺はいもが大事だから式も面倒臭い。
 息がやっぱり切れてきて、もう手も痺れてきた。ぶるぶるしているのが脳のど真ん中に響いていて、音叉の如し。デーのフラット。ドイツ語の読み方を俺はとうとう覚えられなかったけど、確かDesはデスです。デスの音が俺の全身を包み込む。
 デス。
 包み込むのデス。
 Diesだったような気もしてきた。こうなると読み方なんぞわかったものじゃない。英語のdieではないが、もしかしたらDiesもダイなのかも知れない。デスでもダイでもどちらでもいいのデス。ダイたいのことがわかればいいのです。
 絶対音感の持ち主なので昔ひとから音楽をやれと言われたが、俺の家に音楽を遣る奴もなくて、音楽の遣り方などわからない。
 その音がデスだとわかったって、俺がデスの音を美しく麗しく荘厳に明けの明星の啓明の如く奏でられる筈もない。確信が持てる。
「音楽遣る奴苦手だわ。俺はもう音楽は遣らない。
 音楽家は怖いよ。
 俺の音が違うと平気な顔で言う。
 俺の音の何が違うのよ。これが俺の音だよ。でもそんなこと言えねえからさ。
 もっと、伸びのある音を出せって言われたのよ。
 伸びって何だよ。
 ぷわあっとだって。
 ぷわあって何だよ。
 俺にはわからん」
 学生時代、音楽を途中下車した友人からそう聞いていたので、俺は音楽は遣らない。
 そう言うと非常に怒って、いつもそうよ。いつもそう。それが伸びよ。あなたには伸びがないのよ。あなたが音楽を始めればいいじゃない。家の何の関係があるのよ。
 じゃあ俺が音楽を志す為に、農業を放っても、いいんですね。
 そういう話じゃないわよ。
 顔が真っ赤になって、ぷわあっという音が起こった。何かが沸騰したのかと辺りを見回したら電車の警笛で、これが伸びのある音なのか知らんと思っていたらもう、もう空には宵の明星。いも農家の夜は早い。その分朝は早い。
 もう寝るよと言って嘘臭い布団に横になった。本当に偏屈という挨拶があって、その日は寝た。
 指先が青く濁ってきた。ひとの体ってこんなに青くなるものか知ら。爪の隙に詰まった土の色も気にならなくなるくらい青黒い。
 もっと赤くてもいいんじゃない。
 でも赤という色は好きじゃないらしい。それが流行らしいことも言った。結局いつものオレンジのようなピンクのような、塗ってんだか塗ってないんだかよくわからん色の口紅に高い金を出した。いも農家なんだからいいじゃない。
 もういいかな、と思って手を緩めると、どくんと血管が波打って心臓から血が湧き上がる。慌ててまた絞め上げるが、今のでどのくらい生き返ってしまったもんかい。
 俺の手はもう限界ですよ。テレビなんかじゃ、もう一分とかからずにことんといくのに、もう三時間くらい遣っていると思うのに、心臓は元気も元気。
 三時間はない。三時間も遣っていたら、俺はもう呼吸困難で面白いことになっている。たかが二分くらいでしょうさ。
 何時間遣っていればいいのか。俺の家に医者は居ないから医学の知識は俺にはない。
 死のうとしている者に手を差し伸べて、死なせようとしていたら生き返ってしまうんじゃ申し訳ない。もういいわよ。やめるわよ。結婚なんてやめるわよ。
 そうかやめるかいなと思っていたら、死んでやるわよという。死ぬのはよくないと思う。
 ひとが死ぬのも当然のことで、善いとか悪いとかそういうので分類出来るのじゃない。好もしいかそうでないかといったらそうでないので、止めましたよ。
 いや。死んでやる。死んでやるわよ、もう、だって、あなたと別れたら、私生きていけないもの。だったらいっそここで、死んでやるから。
 でも結婚は出来ないのでしょう。
 出来ないわ。だって、あなたのこと、いつもわからないもの。黒いドレスって、何よ。喪服じゃないのよ。嫌なのよ。馬鹿じゃないの。いつも。そういうの。生きてても楽しくなんかないんでしょ。何もかもが気に入らないんでしょ。あたしも嫌いなんでしょ。いや。もう嫌。殺して。いっそ殺して。
 俺が首に手をかけると、ほっと妙な声を出して反り返った。右脚と左脚を擦り付けあって、ぐねぐね細長く身悶えて俺を睨んで地獄の化鳥のような声をあげた。俺の手を掴んで、もしかしたらやっぱり結婚しようと言うつもりなのかも知れなかった。
 それからたかが二分とちょっとくらいしか経っていないだろうに。
 俺の息が段々深くなっていく。浅い呼吸をしているにんげんは大丈夫だと、祖父の臨終の席で叔父が言っていた。俺はもう死ぬ。
 伸びやかな呼吸。
 伸びやかなデス。
 耳鳴りが現実の世界に浸食してきて、こうやってひとは死ぬのだと思った。
 ふざけないでよね。何してくれてんのよ。殺せって言ったら殺すわけ。あんたのそういうところが嫌い。おんな心がわかってないっていうか。
 でもおんな心って何ですよ。具体的に何処のことを言うですよ。俺の体の中におとこ心はない。
 直ぐに屁理屈言う。そういうところが嫌いなのよ。
 こういうところも嫌いですか。もしかしてあなた、俺の何もかもが嫌いなんじゃないですか。
 知らないわよ。
 耳鳴りが止む。ひぐらしが俺のぐるりを埋め尽くしていて、ふいっふぃふぃふぃと美しい音色。かなかなかなというのは音が固すぎて、ひぐらしの鳴き声ではない。あれはハ行だ。俺は口笛で再現出来る。
 ふと空を見上げると宵の明星。ヴィーナスの星。いざ眠らんとて、こう、立ち上がろうとしますと、足が蔓に変わっていて動けない。
 やっぱり結婚しようという気らしい。それならそれで構わないから、俺はオレンジみたいなピンクみたいなのを口唇に押し当てた。固く冷たい。
 もしや本当に三時間、絞めていたのかも知れないと思った。それは偉いことだ。偉いといっても弩という接頭語の付く偉いではない。俺が偉いのだ。俺は血振り切った。曾祖父から受け継がれる血を振り切った。俺の前途は明るい。
 それならば、こんな場所に根を張って、結婚なぞして居られますか。飛び出して、電車に乗って、何処か遠いところで好きなことを遣りますよ。
 だが藻掻いても藻掻いても一歩も進まん。蔓は根深い。朝も早い。夜は長い。
 俺はぼろぼろ涙を流して、朝一番に通りかかる新聞配達のひとにでも頼もうと思う。もうどうにもならないから、俺を殺してくれ。白は嫌いだから、俺の方は帷子なんか着せないでくれと。
 俺のこと嫌いなんでしょう。今更結婚なんて、どういう料簡ですか。
 知らないわよ。耳鳴りがする。デスの音――ほっと妙な声を出して反り返った。
「なあ、どうしても農家じゃなきゃ、駄目ですか」
「駄目よ。農家と結婚するのが夢だったんだから」
「なあ、どうしても農家じゃなきゃ、駄目ですか」
「駄目よ。他に継ぐ子も居ないんだから」
「なあ、どうしても農家じゃなきゃ、駄目ですか」
「そうですよ。駄目なんですよ。うちは曾祖父から代々いも農家ですからさ。今更音楽を遣るなんかいって、ぷわあっの意味もわかっていない癖に」
「あなたにわかりますか」
「わかりますよ」
「何です」
「何のしがらみもない、腹から頭から宇宙へ飛び出すような音です」
「俺にそれが出せますか」
「知らないわよ」
 俺は掌に籠めた力を抜く。指先に血が流れ出す。握り締めたいもの皮がずるりと剥けて、白いのが露になっていた。
「何やってんの、あんた」
 冷やかな声が降り注ぐ。オレンジみたいなピンクみたいなのから発せられたにしては、冷たい寒色をしていた。
「いや、何も」
 エロ本を友人の目から隠したいような、ちらっと見せてみたいような感じで皮の剥けたいもを尻の下に隠す。
「何もしてないよ」
「何もしてないのがいけないんでしょ?本当に馬鹿。あんたのそういうところが嫌い」
 どういうところなのかわからん。
「ああ、もう、いや」
 何が嫌なのか知らん。
「なあ」
「何よ」
「俺、いも嫌いなんですよね」
 結婚して何年になるか知らんが、その間いつもいも料理ばかり出してきた。ぱさぱさぽそぽそして、変に甘く、腹に溜まるいも。オレンジみたいなピンクみたいなのは戦慄いて、俺の顔面をひっぱたいた。
「あんた、いも農家辞めちゃえばいいのよ!」
 今更言うですか。俺はにたりと笑って、それは無理だと言った。
「無理ですよ。だってあの時俺はここで死んだのだもの」
「意味わかんないわよ」
「わかるですよ」
 一等太い蔓を掴み、空に向かって勢いよく引きずり出す。圧し殺したような悲鳴が、ヘスの音で聞こえる。
 泥にまみれた二体の骨は、いも蔓に絡み付かれてもう動けん。ウエディングドレスも白のスーツも茶色く汚れて、陽の元にさらすと蔓なんだかドレスなんだか骨なんだかわからん。
「あの時、あなたは俺にここで死ねと言ったからね。農家と結婚するってさ。まあ、先は長いさ。末長く宜しく。でも俺は、いもが嫌いです」
 目が細まって、口ばかりが大きく開いて、仕舞いには泣き出したので、いじめすぎたか知らとしゅんとなった。
「偏屈」
「はい」
「あんたのそういうところが嫌い」
「はい」
 オレンジみたいなピンクみたいなのは、それ以上の言葉を持たないので、それで世界は終わる。だからうちに来た。生まれる子は貧血で、直ぐ息切れを起こすだろう。目が弱くて、眩しいのが苦手だろう。
 でももし、そのどちらかでも受け継がなかったら、俺はいも畑を潰してその子の未来の為に尽くそうと思う。それだけが今の希望。前途照らす明星。
 このひとが俺の唯一の希望というのも皮肉なことだ。
「あんた」
「はい」
「あたしのこと嫌いでしょう」
 このひとは自分がいもだと勘違いでもし始めたのか知ら。くっききと笑って、鉢の馬鹿広いかぶりを大きく振った。
「まさか」
 俺は今幸せだもの。君を嫌うなんてちょっと、もうちょっと違う感情だと思うが、だけど俺は骨だか蔓だかドレスだかわからないいもは大嫌いです。

2011/11/07 18:45

『無題』

紙袋の中の彼女は俺の知る彼女よりも重く感じて、こうしたことで彼女の何が増えたのだろうと考えて歩いていた。その内に紙袋は重みに耐え切れなくなって、彼女は地に転がった。仕方なく俺は彼女を抱き抱えて、そうか片手で持っていたから重かったのだと、小さく自嘲した。

2011/10/13 11:00

『今際の際』

 病院は苦手だった。あの眩しすぎる光の中で死ぬのだけは嫌だと、多分分娩室の中から、思っていた。
 目の前で閃いたそれの光に目が眩んで、俺は一瞬の判断を誤った。結果、俺の肉体は再生能力を失い、朽ちていくことになる。しかし精神は朽ちるどころか、あり余る暇の所為で冴えに冴えまくっている。
 俺は今、俺の肉体の眠る横に座って全身にぶち込まれていく液体やら酸素やらのことを思っている。
 時折妻の作った食事でさえ「俺は何でこんな異物を飲み込んでいるんだ」と不安になることがあった。グミだのタブレットだのコーラだの、気味の悪い人工物を快い気持ちで飲み食いすることはなかった。それらは決して不味くはなかった。ただその味以上に、己に対するじっとりとした嫌悪が、口内を支配するのだった。それでも口の方は恥ずかしげもなく分別も知らずに異物を受け入れる。気品も思慮もなく噛み砕く歯と、そこから少しでも快楽を得ようと働く舌。唾液はねっとりと甘く、下手をすれば噎せる。
 だが今、口内にその不快な感覚はない。栄養は直に血管を流れて、荒廃に抗う死に損ないの細胞を助ける。しかしこの補給線も、いずれ途絶える。しかし籠城兵たちは自決という道を知らないのだった。
 妻は成人した息子を伴って、毎日見舞いに来る。息子は日によって来ないこともあったが、以前に比べて格段に顔を合わす機会が増えた。ふたりは特に、俺に対して情けをかけるでも、恨み言を放つでもなく、俺の寝ているのを見届けると、少しだけ頭を下げて帰っていく。だから俺は息子が無事に就職先にありつけたのかどうかも知らない。
 沈辺には花が一輪活けられている。妻が先日持ってきた、彼岸花だ。おいおい入院患者に彼岸花かよ、と看護師だけでなく俺本人もつっこんだが、よく考えてみればそれは唯一の、俺の好きな花なのであった。
 曼珠沙華。鮮烈な赤の花弁は、中心に赤子でも隠しているかのように、ふんわりと丸い。緑の茎は一切の葉を省いて、真っ直ぐに立つ。俺は、生来の体質のお陰で実際の光景を見たことはないが、これがお彼岸の木洩れ日の中で、群れになって咲き誇っているのだ。非の打ちようもないくらいに美しく、それでいてちょっと忌まれているのもいい。根に毒があるというのもいい。それは縁起の善し悪しを無視した次元で、俺に供えられたのだ。俺が熱っぽく語った言葉を、妻は覚えていたのだ。俺が酢の物を食えないことはとうとう覚えなかった癖に。
 クーラーの風で、彼岸花はじわじわ渇いていく。明日にはもう枯れてしまうだろう。あいつも非道いことをする。死に逝く俺の道連れに、愛する彼岸花を選ぶだなんて。
「失礼しまあす」
 見慣れた看護師が入ってきた。若く、それなりに美人だ。だがお節介が過ぎて疎まれそうな、保育士めいたところがある。それが天職じゃないか、と俺は彼女に言いたい。
「愈々今日ですね」
 看護師は独り言を呟きながら、手元の板に何かを書き込んでいる。
「今日だな」
「奥さまも息子さんも立ち会われるそうです」
「そうか」
「最期に何か、言い残したことはありませんか」
一瞬だけぽかんとして、苦笑する。何という独り言だ。問題発言だ。こいつは馬鹿だ。
「そうだな。君はナースよりも子供相手の仕事のが向いてる。それを伝えたいな」
「私にじゃあありませんよお。ご家族とか、愛人とか、居るでしょう?」
「愛人なんか」
 じゃない。
 俺は弾かれたように振り返る。俺の肉体はベッドの上に縛り付けられている。今の俺は超自然のもので、死に向かう者への、ボーナスステージのような時間を過ごしているのではないのか。
「き、君、え」
「キミエ?愛人の方ですか?」
「ち、違」
「血なんか出てませんよお。もうかさぶたです。落ち着いて話しましょうねえ」
 はい深呼吸、と促され、言われるがまま一度やってやる。何だか馬鹿にされているようで尺だが、それで結構落ち着いた。間違いない。こいつは俺と話しているのだ。
「はい、では御遺言をどうぞ」
「えっ」
 落ち着いたところで、漸く状況が理解出来たくらいだ。この上、いきなり御遺言をどうぞ、などとぬかしやがる。
 小娘、お前は若いから知らんのかもわからないが、遺言というのは死ぬ間際に後継ぎは誰それに、などとほざいて成立するものではないのだ。聞いた人間が嘘をつくかもしれない。その所為で、後継者同士が骨肉の争いをしてしまうかもしれない。だから遺言なんて、ぽっと出して済むものではないのだよ。
「君、ナースだろう」
「はい。看護師二年目です」
「そんなことはいい。あのな、ナースの君に遺言ほざいても、法的には認められないんだ。書士か?医者でもいいんだったか。呼んでくれないか」
「えええ。そんなもの呼んでる時間ありませんよ。今日だって言ったじゃないですか。今日で終わりなんですよ、あなたは」
 知っている、と叫び散らしたくなる。知っている。よくわかっている。でも俺は最期の最後を考えるのも嫌で、平静な心のままで、逝こうと思っていたんだ。俺の最後を乱してくれるな。
「何て顔してるんですかあ」
 ナースの間抜けな声で眉間のシワに気付く。いかん。
「安らかな顔してるだろうが」
「酷い顔してますよ。こわあい」
「うるさい!」
 ナースの顔はぴくりとも動かず、驚いた様子も、怯えた表情もない。それはそうか。俺の肉体は眠り続けている。真っ昼間から幽霊に怒鳴り付けられたって、怖い筈もないのだ。
「‥‥すまん」
 何だか恥ずかしくなって、謝る。
「いいえ。心中察しますよお。死ぬのは嫌ですよね。皆さん凄く動揺されますもの」
「皆さん‥‥ということは、俺の他にも‥‥幽体離脱というか、こんな状態に」
「ええ。死期が確定したら、大概なりますよ。ほらあ、幽霊って未練が残ってるから出るっていうじゃないですか。でも未練の残ってない人なんてそう居ませんよ。だから皆さん出てきちゃうんですねえ。にょこっとねえ」
 タケノコか何かのように言わないでほしい。こいつには人の尊厳というものを解する気持ちはないらしい。
「だから、その未練というものを解決して頂こうと、私が居るのですよ。この為に、私は居るのです」
「君は所謂、あれか。霊能力者というやつか」
「いいえ。看護師二年目です」
「‥‥とにかく、何だ。君に遺言を今ここで言っておけば、家族なんかに伝えてくれるのか」
「内容によりますけどね。女子高生のパンツが欲しいだなんてお伝えしたら、ご家族卒倒しちゃうでしょう」
 もしかして前例でもあるのだろうか。幽体でも欲情したりするんだろうか。
「何と言えばいいんですかねえ。遺言といっても、やっぱり死に逝く人の最後の望みを叶えることが目的なのですね。だからパンツが欲しければ私はこっそり調達して、差し上げますし」
 本当に女子高生の下着なら犯罪なんじゃないか。盗品か売り物か知らんが。
「自分を殺した犯人顔を伝えたいなら、私が拙い画力で似顔絵を作成致します。復讐なんかもいいですけどね。俺を殺した奴を殺してくれえ、って」
 そうか。それは有意義な今際の際の使用法だ。それに証拠能力があるのか甚だ不安だが、遺して逝く方も遺された方も、大きな希望が持てる。医療従事者が復讐なんか、冗談じゃないから笑わない。
「まあ、今後そんなこともあるかな、と期待してるんですけど。サトウさんはあれですよね。交通事故ですからそんなことないですよね」
 つまらなそうに口唇を突き出す。不謹慎極まりない。自分のことなのに、怒りも悲しみも浮かばないのが不思議だ。これが「通り越して呆れ」という感情なのか。
「そうだよ。残念だったな」
「光が苦手だったそうですね。例のお車のフロントガラスにも遮光シートが貼ってあったとか」
「ああ。陽の下だと、まともに目も開けないくらいだった。だから病院も苦手なんだよ。明るくて」
「今は大丈夫みたいですね」
「‥‥彼岸花、初めて見たんだ」
しみじみと、花瓶に目を遣る。赤い。彼岸の頃の陽はいつも眩しかった。俺の視界はいつも暗く黒く澱んでいた。赤い。目に痛いくらいに、赤い。
「三途の川って、彼岸花いっぱい咲いてるのかなあ」
「どうだろうな」
 俺はこれから、そんな幻想的な空間に飛んでいってしまうのだろうか。あの花に囲まれて、死んでいくのか。穏やかな気分で逝ける気がする。
「聞いた話ですけど、三途の川シビアらしいですから、頑張って下さいねえ」
 何処で聞いた。何故知っているのだ。知っているのか。知っているのだろうな。そうか、と呟く。
「頑張るよ」
 白衣の天使とは、まさに彼女のことではないか。
「それで、遺言の方はどうします?何かいいの思い付きましたあ?」
「そうだな」
 別に女子高生のパンツなんか欲しくないし、俺を殺したのは光であって、犯人を告発することも出来ない。そうなれば対向車線を走っていた、ヘッドライトをビームに改造した若者たちになるのだろうが、俺は別に彼らを恨んでいるわけではない。遮光シートがほんの少しはがれていた。夜だからサングラスをかけていなかった。俺の迂濶と偶然が重なって、死んだのだ。人を恨むのは筋違いというものだ。
「息子が就職できたのがどうか、知りたいな」
「されましたよ。おめでとうございます」
 拍子抜けするほどあっさりと、俺の未練は解消された。
「そうか」
 つい、苦笑いが浮かんだ。もしかして、ウチにだろうか。もっと名企業に行く、と息巻いていたが、この御時世そううまいこともいくまい。それ見たか、と笑ってやりたい。
「ちなみに何処に?」
「Y社です。大手ですねえ。コネがあったとか、息子さん謙遜してましたよお。凄いですねえ。私もコネなんかあったら、看護師じゃなくて捜一の刑事さんとか、私立探偵とかやったのになあ。いいなあ。ねえ、サトウさん」
 サトウさん?
 ナースの顔が空間ごとぐにゃりと歪んだ。
「ど」
 どういうことだ。何故息子が、Y社に就くんだ。
「ど?」
「何で」
 何でY社があいつを雇うんだ。あいつの父親は俺だ。その事実が揺るがない限り、こんなことはあり得ない。あってはならない。
「サ‥‥サトウ商事は、どうなったんだ」
 ナースは事もなげに微笑む。
「サトウさんが遺した会社ですねえ。小耳に挟んだんですけど、Y社が、何て言うんですかこういうの。合併?乗っ取り?」
 知らず、息を飲む。どうして。俺は、俺たちは、あれほど合併に抗ってきたのに、簡単に屈服するのか。腰抜けめ。腰抜け。どうして戦わないのだ。天下のサトウだぞ。あんなでかいだけ、名だけの会社に乗っ取られて、悔しくないのか。
「サトウさん?」
「俺は身ひとつで会社を興したんだ。技術なら何処にも負けないんだ」
「でも資金繰りはうまくいってなかったみたいですねえ」
「あと少しだったんだ。でかい仕事が入るところだった。もう少しだったんだよ。それをあいつらもわかっていた筈なのに、何で」
「未練」
 何が未練だ。こんなもの未練でも何でもない。今突然沸き上がっただけの、怒りだ。俺は信じて、疑うこともなかった。
 社員たちの力を、気概を、信じていたのだ。
「哀れなサトウさん」
「うるさい。あいつらを呼んでこい。何処に居るのか知らんが、俺の死に顔を見せてやれ。思い直すだろう、もう一度立つと」
「皆さんは今頃、Y社でお仕事中でしょう」
 ナースは感情のない笑顔を小さく傾げて、
「社員の方が、一度でも、お見舞いに来られたことがありますか?」
 喉の奥から、異物が込み上げてくる。俺の肉体は眠っている。胃液であろう筈もない。
「ああ」
 絞め付けられる首から、やっとのことで、甲高い嗚咽を吐き出す。Y社め。腰抜けの社員どもめ。愚かな息子め。裏切り者。俺が死んだ途端に。
 俺が死んだ途端に。
「俺は」
 憎むべきひとりひとりの顔が脳裡をよぎる。サングラスを通した暗い世界で、皆一様に目を細め、眉を寄せて眩しそうな顔をしている。
「俺は、誰に殺されたんだ」
 あれは眩しいわけではなかったのだ。
「奥さんですよ」
 食卓の向こうの妻とて、同じ顔をしているではないか。
 俺の世界はこんなに明らかだったのだと初めて知った。もっと不明瞭なものだと思っていた。何もかも、余りにも明らか。
「哀れなサトウさん」
 白い部屋には一点の影もなく、ナースばかりがただ黒く、
「私は何でも承りますけど」
 三日月の目をした死神はナースの姿で笑う。
「その為に、私は居るんですからねえ」
 鮮烈な赤が網膜を焼く。俺はゆっくりと目を閉じた。

2011/02/04 10:17

『一生』


「お寒うございますね」
 男は俺の直ぐ左側に居た。左側に立たれるというのは何となくいい心地がしなかったが、俺はちゃんとその見知らぬ男の呟きに答えてやる。
「そうですね」
 ちらりと横目で見ても、やはり俺はその男に見覚えがなかった。黒の色褪せたコートを着て、眼鏡をかけ、髪を短く刈っている。背は高くなく、ずんぐりとした印象だった。
 ここの信号は赤になってしまえば中々変わらない。通勤時間であれば人だかりでいっぱいになる
 横断歩道だが、それを少し過ぎた陽の高い今、信号待ちは俺と男だけである。
 雪溶けで湿った地面から冷たい風が立ちのぼり、背筋が震えた。
「袖擦りあうも他生の縁。こうして共にここで寒さを共有しているのも、何処かに一生の縁くらいはあったのやも知れませぬ」
 男は笑った、ような気がした。男の見た目に反した、涼やかな笑い方だった。
「そうですかね?」
「そういうものでございますよ」
 妙な喋り方だ。話の内容よりも、そちらの方が気になってしまう。俺は小さく、生返事をする。


 車が目の前を通り抜けていく。信号は変わらない。何も変わっていない。
 このまま変わらないのかもしれない。視線を感じる、気がする。
「あ、ほら」


 男が嬉々として腕を伸ばす。人差し指が俺の視線の先を向いている。信号は赤だ。
「変わりますよ」
 男は少女のようだった。
「変わりますか」
「変わりましょ。ほら、ほら」
 車が1台通って、信号はぱっと青になった。ほら、と男はもう1度言った。


「変わりましたね」
 俺が言うよりも早く、男は先を歩き出した。賑やかな歩き方だった。右足を前に出す度に、上半身が右側に傾く。脚でも悪くしているのだろうか。そんな歩き方なのに、やたらと早かった。
 俺が遅れているのに気付くと、振り返りもせずに歩幅を狭めて俺の左に並んだ。
 このまま行ってしまうなら行ってしまえと思っていたので、内心で面倒だと舌を打つ。
 俺は度量の狭い奴だと自覚している。
「いずこに行かれますの」
「大学です」
 勝手に、俺と同じ学生だと思っていた。男はうんとも、俺もですとも言わなかった。
 ただ、そうですか、と嬉しそうに答えた。打っても弾かれたような返答だ。
「あなたは」
「妾でございますか?妾のような卑賤のものの身の上など、お耳にしてはこんな朝から嫌な気分になるだけでございますよ」
 男はころころ笑う。こいつは誰なのだろう。何度見てもその横顔は見知らぬ、男である。
「卑賤だなんて、そんな」
「それに長くなりますよ。きっと話しているマに着いてしまう」
「じゃ、落ちだけ話したらどうです」
 長くなる、と言われた時、俺は決まってこう言う。冗談のつもりである。なのに男はけろりと承諾した。
「そうですね」


 男の腕が伸ばされる。俺の視線の先を指す。
「変わりますよ」
 男は言う。いや、もう男ではない。お梶に結った女である。黒の江戸褄の簡素な柄が、そこらの娼妓ではないと訴える。彼女は反逆者だった。俺はただ、白い腕が黒に映えていると思った。
「変わりますよ」
 しかし何も変わらなかった。冬空は高いままで俺たちを見下ろしている。何が、変わろうものか。
「変わるものか」
「ええ、変わりますとも」
 旦那さま、とやいは笑う。俺はその先を見詰め続ける。
「あ」
 空が徐々に暗くなっていく。と思えば、瞬間、空は夜のように黒く染まった。
「ほらほら」
 やいは俺を向いて子供じみて笑う。
「これは恐ろしい」
 日蝕だな、と俺は思った。でも俺は本心から恐ろしいと思った。天気予報で日蝕を予告する習慣はなかった。俺にはその予告が、やいの外法に見えた。
 だってまるでやいが空を変えたようだったから。


「変わりましたね」
 俺が言うよりも早く、男は先を歩き出した。背筋の伸びた綺麗な足取りだった。
 男は振り返ることもなく足早に俺と同じ大学の門をくぐっていった。

2010/12/22 11:58

『慶長5ch 秋の特番「激突!関ヶ原の戦い実況中継」』

 

関ヶ原の戦いとは

f:id:agatha333:20180417120914j:plain

慶長5年(1600年)、美濃関ヶ原を戦場に起こった戦いをいう。
徳川家康率いる江戸方、(総大将じゃない)石田三成率いる大坂方が10万の大軍で戦ったのに、1日で終わった。
江戸幕府が開かれるのがその3年後。でもこの話はフィクションです。


石田三成
「はいでは始まりました。美濃は関ヶ原、慶長5年9月15日。時刻は、ええ、布陣から2時間程が経っていましょうか。霧の中より銃声、応射の音、続いて鬨や地鳴りが聞こえて参りました。これを以って、関ヶ原の戦い、開戦とさせて頂きます。いや、愈々始まりましたね。どうでしょう、天下を二分する合戦を引き起こした、ご感慨の程」

 

徳川家康
「感無量です」

 

石田三成
「はい。まさしく内府(家康)殿の忍従の賜物、これ程大きな合戦、織田右府(信長)さまや太閤(秀吉)殿下さえ起こしてはおられません。流石未来の大都市、今はド田舎の江戸を領る巨体で居らっしゃられます」

 

徳川家康
「腹を見て仰られますか」

 

石田三成
「失礼。某、たかが19万飛んで4000石の小身であり、内府殿の仕様、真似しようにも出来ません」

 

徳川家康
「これはこれは、何を仰るか。貴殿こそ、二分の片割れ、大坂方の首謀者であらせられよう」

 

石田三成
「やや。いや、総大将は毛利中納言(輝元)殿にござりまするぞ」

 

徳川家康
「実質的には貴殿でしょう。安芸(輝元)殿程の大名を立てねば、これ程の兵は集まりますまい」

 

石田三成
「見抜かれておいででしたか」

 

徳川家康
「偏に、貴殿の人徳のなさ、身の小ささの由来する所とお見受け致す」

 

石田三成
「いやーははは」

 

徳川家康
「その小才子ぶり、まさに真似しようとも、出来ませんなあ。おや、頭の天辺が円形脱毛

 

石田三成
「見下ろすな、内府!ええい、無礼者、今この場で手打ちにしてくれる!」

 

徳川家康
「刀を仕舞いなされ。落ち着きのない。だから大将の器でないと揶揄されるのですぞ」

 

石田三成
「まだ申すか!おのれ、こら、離さんか!あの狸めを!あの奸佞めを、儂自ら!‥‥」

 


石田三成
「お見苦しい所をお見せ致しました」

 

徳川家康
「頭を冷やされたようで何より」

 

石田三成
「貴様なんぞに謝まってなどおらぬわ!」

 

徳川家康
「お座りなされませ」

 

石田三成
「今に見ておれ‥‥霧が晴れて参りました。ここからも戦場の様子が、ああっと、宇喜多隊が数隊に攻められているようです」

 

徳川家康
「おお、あの旗差し物は忠勝、万千代(井伊直政)、それに‥‥」

 

石田三成
「酔いどれ福島と、有名じゃない方の加藤隊です。まあ要は裏切り者です」
 (本多、井伊と違い、徳川家臣ではなく豊臣家臣)

 

徳川家康
「あれだけの隊に囲まれても、宇喜多隊はひけを取りませんな」

 

石田三成
「当然です。そう簡単に崩れてしまっては困ります。宇喜多隊は我らが誇る精鋭部隊なのです。まあ、この関ヶ原に誘き寄せられてきた時点で、こちらの優位は決まっているのですがな」

 

徳川家康
「ああ、ああ。皆、情けないことじゃのう。みるみる引いていきおるわ」

 

石田三成
「うわー」

 

徳川家康
「どうなされた」

 

石田三成
「くそう、者共、かかれ!」

 

徳川家康
「おお、黒田、細川隊に攻められているようですな」

 

石田三成
「大筒用意!撃ち方、始め!」

 

徳川家康
「ああうるさいうるさい。野良犬のように、きゃんきゃんと」

 

石田三成
「聞こえておるぞ内府!」

 

徳川家康
「ああ?聞こえませんな、大筒が喧しいもので」

 

石田三成
「死ね」

 

徳川家康
「聞こえませんなあ」

 

石田三成
「耳に弾ぶち込んだら風穴空いて聞こえやすくなると思うよ糞老人」

 

徳川家康
「高虎と京極殿が‥‥貴殿の親友の大谷殿を攻め始めましたぞ」

 

石田三成
「あいつなら大丈夫だ。動揺させようとも、その手には乗らんぞ」

 

徳川家康
「今更そのような策は掛けんなあ。さんざ動揺しておいて」

 

石田三成
「しかし、心配なのは田中、織田に当たっている小西摂津の方だな。あいつは弱いからな」

 

徳川家康
「まあ人のことは言えないでしょうが。忍城なんて」

 

石田三成
「言うな。あれは余人には図れぬ、中間管理職の苦労があったのだ」

 

徳川家康
「言い訳か」

 

石田三成
「わからずともよい。儂は殿下を貶めるようなことは言わんでな。『のぼうの城』、面白いぞ」

 

徳川家康
「ああ、全国に貴殿の失策が今秋大公開」

 

石田三成
「だから、違うと言っておる!あーはい。ではここでゲストとして元織田家武将の弓の名手、現在は豊臣家に仕え、主に軍記作家として活躍している太田牛一先生をお呼びします。先生、第一線に、ようこそお越し下さいました」

 

太田牛一
「いえいえ」

 

石田三成
「どうでしょう、今回の戦、先生の目からご覧じられて」

 

太田牛一
「未曾有の大戦ですね。まさに天下分け目の名に相応しい喧しさです」

 

徳川家康
「‥‥先の大筒の音ではないか」

 

石田三成
「‥‥申し訳ない」

 

太田牛一
「いえ、笹尾山は大筒も喧しいのですが、この鉄砲や矢さけびの声。‥‥『天を轟かし、地を動かし、黒煙り立ち、日中も暗夜となり、敵も味方も入り合い、しころを傾け、干戈を抜き持ち、おつつまくりつ攻め戦う』‥‥とでも、書かせて頂きましょうか」

 

石田三成
「よくぞそのような素晴らしい言葉が浮かぶものです。後世、この戦がどれだけスケールの大きなものであったか、衝撃でもって伝えられるでしょう」

 

徳川家康
「カンペ無しでは褒められませんか」

 

石田三成
「ああ喧し。何も聞こえへんわ。では太田先生、有難うございました。引き続き関ヶ原合戦の記録をお願いします」

 

太田牛一
「はい。有難うございました」

 

石田家家臣
「申し上げます!島左近殿が黒田長政隊による銃撃を喰らい重症!」

 

石田三成
「っうぇwwwちょwwいきなり何wwww」

 

徳川家康
「文字数の半分以上が意味不明だが」

 

石田三成
「>>徳川家康
 ggrks
 はい、ここでコマーシャルです」

 


(CM中:笹尾山西軍本陣)

 

石田三成
「うぬぬ、開戦早々何と‥‥おのれ長政!そもそも黒田家は太閤殿下のお取り立てにより、大名に独立するまでになったというのに!この不義者め!目にもの見せてくれる!」

 

島左近
「うるさい」

 

石田三成
「あっ生きておったか」

 

島左近
「ちょっとは心配しなさいよ」

 

石田三成
「いい歳なのに妙にタフだな。戦国無双2でも妙に強いしな。お前続戦国自衛隊の人?とき衆なの?あれ若いよな。いい歳なのに」

 

島左近
「無駄口の無駄遣いしてないで、早いとこ連中に合図送りなさい」

 

石田三成
「まだ西軍が有利じゃないか。彼奴らは奥の手でよかろう。不戦なら不戦で、論功行賞でこちらが優位に立てる」

 

島左近
「勝った後のことなんざ考えてるのですね」

 

石田三成
「うん。だって勝つもん?」

 

島左近
「馬鹿じゃないの。殿は戦下手かどうか知らないけど、いかんせん経験浅だよね。わかる?戦況は風なんだよ。ちょっとした障害で向きは変わるの」

 

石田三成
「や、やめてよーまた説教?俺の晴れ舞台なんだよ?そんな言い方ないんじゃない?」

 

島左近
「あんたはそれでいいかも知れんが、今この瞬間も血を流して戦ってる部下が居ることを考えなさい。何故殿がここに居るのか、しっかりと考えなさい」

 

石田三成
「‥‥」

 

島左近
「少なくとも私は、あんたを勝たせる為に居る」

 

石田三成
「‥‥」

 

島左近
「儂は今一度、本陣をお守り致す。いつまで保つか知れぬが、せめて最期まで、全力を尽くそう」

 

石田三成
「左近‥‥」

 

島左近
「先の問いは、宿題にしておきます。では‥‥お達者で」

 

石田三成
「‥‥」

 

 


(CM明け)


石田三成
「あーもう。はい、引き続き関ヶ原合戦をお送りします」

 

徳川家康
「おや、随分投げやりですな。焦っておられますか」

 

石田三成
「内府殿こそ‥‥ああ、このピンチに、徳川の主戦力がご不在でしたなあ‥‥何処で何をしてるのやら」

 

徳川家康
「貴殿の計だとすれば、褒めざるを得ませんな」

 

石田三成
「別に褒めてもらいたくもないが、儂の策ではない。安心するんだな」
 (家康三男・秀忠率いる徳川本隊は、信州上田城にて真田父子と交戦中)

 

徳川家康
「しかし、コマーシャル中に随分奔走されたようで。貴殿自ら不動の陣に出向かれたとか?噂話ですがな」

 

石田三成
「噂話を信ずるなど。儂はずっと本陣におりました。使者は立てましたが。島津殿と‥‥あの山には」

 

徳川家康
「‥‥松尾山」

 

石田三成
「儂が気付かん筈がなかろう、内府?小早川は東軍だ。松尾山に入られてしまったのは痛いが‥‥奥の手にしては、ちと、甘すぎる」
 (松尾山には砦が築かれており、総大将毛利輝元と、戦の大義名分となるキーパーソン、豊臣秀頼が布陣する予定だった。というか、してもらいたかった西軍)

 

徳川家康
「‥‥突然、堂々としたもので。強がりですかな」

 

石田三成
「強がりはどちらかな。‥‥先より、親指の爪が縮んだように思われますが?」
 (家康は焦ると爪を噛む癖があったらしい)

 

徳川家康
「はっは‥‥どう思われようが、自由、ですなあ」

 

石田三成
「南宮山も栗原山もあてにはならん。あやつらが弁当を食い終わる前に、この戦の勝敗は着く」
 (「宰相殿の空弁当」。南宮山、毛利家家老の吉川広家が東軍に内通しており、毛利軍の前で弁当を食い続け、毛利軍は進撃出来なかった。その動きを怪しみ、近くの栗原山の長曾我部盛親も動けず‥‥というが。何故そんな高山に布陣した両軍)

 

徳川家康
「よく喋りますな。自軍の事情を」

 

石田三成
「自軍だと?どうせ裏切りの約定でも結んでおろう。しかし、所詮狸のまやかしよ、彼奴らも今に目が覚めようて」

 

徳川家康
「仔狐が謡の猿芝居では、踊るに踊れんのだろ?化かし合いなら、儂のが上手、か」

 

石田三成
「‥‥儂は化かしなどしておらぬ。真正面から、貴様の首を獲りに参ろう」

 

徳川家康
「あっそう」

 

石田三成
「急に何だよ」

 

徳川家康
「じゃあ桃配山から下りちゃおうかな。なんて」

 

石田三成
「く、来るのか!?高山に陣取りおって、どうしたものかと手をこまねいておったが‥‥」

 

徳川家康
「いや、すまん。こちらの話じゃ。気にせんでくれ」

 

石田三成
「プライベートな話かよ」

 

徳川家康
「ふふ‥‥しかしじきに下りてこられるようになろうなあ‥‥貴殿の立つ、笹尾山の真下まで」

 

石田三成
「何?」

 

徳川家康
「貴殿が弁当を急かしたり、島津に無礼な催促しとるコマーシャル間に、儂が何もしていないとでもお思いか?」

 

石田三成
「な」

 

徳川家康
「もう‥‥昼になりますなあ‥‥」

 

 


小早川秀秋(毛利両川=吉川、小早川の小早川隆景の養子)
「治部(石田三成)は嫌いだ」

 

松野重元
「はあ」

 

小早川秀秋
「でも内府も好きなわけじゃない」

 

松野重元
「まあ我々の敵ですからな」

 

小早川秀秋
「しかし、俺は元々、内府との間に寝返りの確約を結んでいる。ここまでは、いいか」

 

松野重元
「えっ!聞いてない!」

 

小早川秀秋
「あっ!いけね、味方にもぺらぺら喋るなって、平岡石見に言われてたんだ」

 

松野重元
「で、では、金吾さまは、このまま下山ついでに、大谷殿を攻めるというのですか」

 

小早川秀秋
「ついでにってなあ。何か大谷さん強いらしいから、ついでにはいかないかなあ」

 

松野重元
「重要なのは、あんた、そこじゃありません!豊臣家に反旗を翻すのか、と、それだけです!」

 

小早川秀秋
「な、何だよ!豊臣家が俺に何してくれたんだよ!勝手こいて、俺を親から引き離しといて、要らなくなったら小早川に押し付けただけじゃねえか」
 (秀吉の妻の兄の子だったが、子のない秀吉の養子として引き取られる。が、不器量と秀頼の誕生を理由に、小早川家に養子として送り込んだ、といわれる)

 

松野重元
「そ、そんな私怨で」

 

小早川秀秋
「別に私怨じゃない。恩義感じないんだよ。あ、それだけじゃないぞ。俺はまあ、馬鹿だけど、馬鹿なりにしっかり考えたんだよ。俺が治部に従って、勝って、俺が関白になって、どうなるのか」

 

松野重元
「‥‥」

 

小早川秀秋
「先の関白、秀次さんさ。殺生関白なんて言われて、室からその子まで皆殺しだろ。そもそも秀次さんを讒言で貶めたのは、治部って噂じゃないか」

 

松野重元
「たかが噂です。妻妾や息女の助命を、太閤さまに請うていたという話もあります。秀次さまご自身の評価といえば‥‥」

 

小早川秀秋
「まあ、いいよ。どっちでもさ。でもさ、治部が無能の俺を、関白なんてポストに置いておくと思う?」

 

松野重元
「しかし、現在の戦況は西軍有利で」

 

小早川秀秋
「いいとこ、追い落とされて失脚だな。多分、宇喜多さんが擁立される。だって宇喜多さんのが頑張ってるし、有能だし、豊臣の皆にも可愛がられてたし、イケメンだし、21世紀では最早伝説の人だし、うわああ!ほら!俺、死ぬよ!だってほら、俺邪魔じゃん!俺の為のスペースないじゃん!俺、何処にも、何処でも、だから、せめて」

 

松野重元
「笹尾山から狼煙です。進軍の合図です」

 

小早川秀秋
「俺のお陰で勝ったのなら」

 

松野重元
「金吾さま!進軍です!」

 

小早川秀秋
「俺は内府の恩人だ」

 

小早川家家臣
「も、申し上げます!松尾山、麓で銃撃!」

 

松野重元
「何処の隊が」

 

小早川家家臣
「え、江戸方であること以外は何も」

 

小早川秀秋
「合図だ」

 

松野重元
「え?」

 

小早川秀秋
「進軍の合図だ。内府が、俺を、頼ってきたんだ!」

 

松野重元
「お、おい」

 

小早川秀秋
「皆の者、進撃じゃ!標的は、標的は‥‥」

 

 


石田三成
「やはり‥‥金吾(秀秋)め、裏切り者か」

 

徳川家康
「風が、どうやら東向きに変わったようですな」

 

石田三成
「?‥‥安心するのは早いのではないか?」

 

徳川家康
「そうですかな?」

 

石田三成
「‥‥まあ、よい」

 

徳川家康
「しかし、流石は大谷殿。小早川殿の寝返りにも備えていたのですな。崩れる様子がない」

 

石田三成
「‥‥そうだろうな‥‥!」

 

徳川家康
「あ、何と。大坂方の諸将が大谷殿を攻め始めましたぞ。いやいや、これは」
 (脇坂、赤座、朽木、小川の4隊)

 

石田三成
「な‥‥何だ‥‥こんな早さで‥‥」

 

徳川家康
「ご覧なされ。‥‥大谷殿の勇姿を」

 

石田三成
「うるさい‥‥なあ、何が風向きだ‥‥一瞬ではないか」

 

徳川家康
「流石に大谷殿にも支え切れんか」

 

石田三成
「‥‥そうか‥‥そうだな。儂がやるべきこと、だ」

 

徳川家康
「大谷隊を抜いたか」

 

石田三成
「‥‥見ていろ、内府。力で御せないものがあると知れ」

 

徳川家康
「おや、何処へ行かれる?‥‥おひとりで」

 

 


寝返りを起こした小早川隊、それにつられるように反旗を翻した大谷麾下4隊、他東軍諸隊、徳川本隊の進撃により、西軍の旗色に翳りが見え始める。

 

小西行長
「戦うな!無駄死にするな、はよ逃げんか!‥‥ああ、何や、また天主は儂を見放すんか。薄情やなあ‥‥堪忍な、皆」

 

 

宇喜多秀家
「おのれ金吾許すまじ!秀吉さまの養子でありながら!」

 

明石全登
「秀家さま!関ヶ原はもう駄目です、早くお落ち下さいませ!」

 

宇喜多秀家
「落ちるじゃと!きゃ、彼奴めを討たねば、儂は‥‥儂は‥‥」

 

明石全登
「‥‥秀家さま‥‥泳いで薩摩までお逃げ下さい」

 

宇喜多秀家
「そこは泳がねえよ」

 

 

石田三成小西行長宇喜多秀家関ヶ原を脱出。
徳川家康は西軍本陣、笹尾山の直ぐ下に陣を布いた。

既に石田隊も壊滅に近く、勝敗は明らかになった。

 

島津豊久
「叔父上!正気じゃな?」

 

島津義弘
「正気も正気じゃ‥‥皆、着いてきてくれるか」


近付く敵味方に撃ち掛け、不動を保ってきた島津隊の陣から、大きな鬨の声があがった。

 

島津義弘
「敵中突破じゃあ!」


関ヶ原最後の戦いが、始まろうとしている。

 


石田三成関ヶ原を落ち、豊臣秀頼の居る大坂城を目指した。再度の挙兵を謀った。
自ら死を選ぶことなど、彼にとっては愚の骨頂だったらしい。
しかし、大坂は遠かった。

「十月一日、三人を伝馬に乗せ、一条の辻より室町を通り下り、寺町を出て、
 六条河原に引き出し、見物諸人群をなす。六条河原にて、非人の手に懸けて成敗也。
 其時七条道場上人の役にて、箇様の引渡し罪人に十念を授けらる。此時も上人出らる。
 然れども、治部少輔は法華にて念仏を受けず、安国寺は禅宗の西堂にて念仏を用いず、
 小西は切支丹にて、唐銅の板に己が宗旨のはた物佛を書きたるを首にかけ渡されける間、
 是も十念を受けず、上人空しく帰ると也。」『慶長見聞録』


坊さんをすげなく帰した石田三成小西行長安国寺恵瓊の三将の処刑後、石田三成の居城、
佐和山城井伊直政の手に渡る。
佐和山城下では家臣の遺骨を探す石田三成の霊が現れる、縁の寺で霊現象が起こる、などの風聞が生まれた。
江戸から明治まで、反逆者として伝えられた石田三成
風聞を語り継いだであろう領民たちは、ひっそりと、彼を供養し続けた。

 


石田三成
「力じゃ御せんだろう、こればかりは」

 

島左近
「さすが殿、負けを知りませんね。たまには挫けて下さい」

 

石田三成
「人気では俺が勝ってるよな、古狸より」

 

島左近
「そうかなあ」

 


現代まで続く青史の、400年前の話。

2009/08/24 15:12

エスカレーション』

 人影のないプラットホームではトンボ1匹が死んでいた。磔にされた神さまのように見えた。
 普段よりも短い電車が緩々とスピードを落としていく。焦らすようにじりじりと、停まる。開いた扉へ、飛び込む。
 入って直ぐの座席に座り、鉄の手すりに寄り掛かる。冷たい。おれは大した間もなく、うとうとし始めた。眠りたかった。

 こえれど。
 耳元で女が囁く。
 こえれど。
 おれはゆっくりと目を開いた。
 まだ電車は動いている。白い光の中に白い女が立っている。
「こえれど」
 女が口唇をもごもごさせて言った。眠い。酔っているのか。絡まないでくれおれは疲れているんだ。
 女は悲しげに眉を潜めると、大きく口を開いた。
 どす黒い血がばたばたと白い床で弾けた。
「帰れない」
 女は異様に短い舌をゆっくりと動かして、ゆっくりと言った。
「そう」
 おれは帰るよ。目を瞑る。終着駅まで時間がある。
 寝ることにする。


 夜風が頬を撫でる。足元で十字のトンボが死んでいる。もう秋か、と思った。