地獄の回想録

2006年からやっているブログの記事を機械的に貼り付けました。

2006/08/31 20:48

『彼の動機 家鳴』

 

始めに鳴ったのは、電子ジャーだった。
成程、蓋のそれなんて目覚まし時計の様じゃないか?
僕は五歳だったが、突然鳴りだした電子ジャーが、
米の入った目覚まし時計だとは思えなかった。
幼稚園の友達は、その話に興味を示さなかった。
そりゃそうだ。つまらない。
両親に言えば、良かったねえ、と返された。
何が良かったねえなのかを聞けば、
電子ジャーが話し掛けてきてくれているんだから、
とその頃でも分かる嘘を吐いた。
だから僕は、それ以来この話を人にしたことが無い。
じりりりりり、と、目覚まし時計らしい無機質な鳴り方をする。
何処から音が、というより、それ全体が鳴っているようだ。
音が響いている、というより、物が響いている。
有り得ないのだろうが、普通鳴るわけの無いものが鳴るんだから、
あるかもしれない。
音を消すには、それ触れれば良い。常に鳴り続けると、可笑しくなりそうだ。
家やら家電量販店やらに居なければ、近隣の家から漏れる音しか
聞こえなかったから、僕は毎日外で遊んだ。

歳を負う毎に、それは増えていった。
六歳の誕生日の日、突然冷蔵庫が鳴った。
大きいからか、音の大きさは増していた。
七歳になると本棚が鳴り、八歳で家中のカーテンレール、
九歳ではアイロン台だった。
毎年今年は増えないのでは、と期待して、撃沈していた。
何故か、朝一斉に、叫ぶように鳴るのだ。
十二になると、家が鳴っているように感じるほど、沢山の家具が鳴っていた。
気が狂いそうだった。
人に話そうとした。でも狂っていると思われる、どうせ信じてくれないさ、
と思うと駄目だった。根暗なのだ。

「あんた、いつも何してんの」
カーテンレールに一つ一つ触れている僕に、寝呆け眼の母が声をかけた。
今起きたのだ、寝室のある二階から降りてきた。
出来るだけ朝早くに起きて、家族に怪しまれないように音を止めていたのだが、
ばれていた?
「何もしてないよ?」
「ばーか。気付いてないわけないじゃん」
貴女が七年前に嘘でかわした事ですよ、今から興味をもたれても。
「忘れたの?」
「何を」
「俺はさ、おかしいんだよ」
口だけで笑って言った。言ってしまえば良い。自分から言えば、楽なのだ。
「なあに気取ちゃってんのよ」
母は、笑いながら言った。
「ヤッ君もそういう年頃かあ」
「だからさ、忘れてるよな」
「何よさっきから」
母の適当な態度に、少々苛ついてきた。
「ジャー、冷蔵庫、本棚、カーテンレール、アイロン台、
ソファー、換気扇。鳴るんだよ。聞こえないか?」
一つずつ、指差しながら言った。
最後の言葉に、母は唖然とした。
「落ち着いて言って」
可笑しくなったと思われている。いかにも狂った仕草だったろう。
「落ち着いてるよ。七年目なら慣れた」
「‥‥鳴る?」
そりゃあ、わかんないよなあ。
こんなにもけたたましく、家が鳴り響くだなんて。

 

これはいかん。
「家具だけじゃねえのかよ」
鳴り響くのは、僕以外の人だった。
じりりりりりりり
起きてんのにさ、止めてよ。
もう起こされる歳じゃないよ。
会社に向かう。
そこらかしこで、ベルの音がする。
満員電車は、地獄だった。「止めりゃあ良いんだろう」
小さく呟く。

 

僕は、痴漢容疑で逮捕された。