地獄の回想録

2006年からやっているブログの記事を機械的に貼り付けました。

2007/06/04 21:33

『ある葬式の帰り道』

 


横に並んで私を見つめているのは、小さな双子の女の子だった。

そっくりの顔をして、そっくりの姿勢で立ち、そっくりの視線を私に向けている。


「お姉ちゃん」


どちらかが、喋った。

「お姉ちゃんはどうして怒ってるの」

誰に話し掛けているのだろう、と辺りを見回すが、私の方をじっと見ている。
しかし、葬式でもあったのだろうか。喪服の人間が多い。


「仕事につかれているの?」
「家族につかれているの?」

代わるがわる聞いてくる。

私は、聞こえぬように舌打ちした。


「誰がお姉さんなんだ?」

私は、もう20を超えた娘を持つ父である。
どう見間違えようとも、お姉ちゃんには見えない。


「ああ、わかった」

右側が笑う。

「あ、わかった?ひぃちゃんも、今わかっちゃった」

左側が笑う。


「‥‥何がわかったんだい?」

娘が小さい時と、変わらぬ笑みなのに、気持ち悪さを感じた。


「あのね」
「あのね」


同時に言い、顔を見合わせた。


「お姉ちゃんは、お姉ちゃんのパパに憑かれているんだよ」

 

 


「パパ‥‥って、お父さん?」

双子の少女は、ぴょこんと頷いた。

「そう。パパがお節介だから、迷惑して怒ってるんだね」
「わかるよ。みぃちゃんたちのパパもそうなの」

少女は、笑い合いながら続ける。


「そうそう。ひぃちゃんが木に登ると怒るの」
「みぃちゃんがお料理すると怒るの」


私にも、覚えがある。

つたない手付きで、雑誌の付録を組み立てようとハサミを使っていると、父は横から
取り上げて私の代わりに切ってしまった。
私は少し悔しくて、怒った。


「でもね」

「心配なの」

「娘が心配なの」


目に、違和感がある。
じわじわと、涙が溢れてきた。


「だからね、少しだけ大目に見てあげて」
「苛々しないで」
「お姉ちゃんを、守ってくれてるから」


笑顔が、とても温かく感じた。

喪服で瞼を拭う。

「お父さんは‥‥ここに居るの?」
「居るよ」

ふたりが同時に答えた。

「お姉ちゃんの直ぐ後ろ」
「お姉ちゃんよりもちっちゃいんだね」
「スーツ着てる」
「泣いてるよ」
「お姉ちゃんが泣いちゃった時から、ずっと」


振り返っても、そこには何もないのだろう。

「‥‥そっか」

 

 

今日は、そうか。私の葬式か。

初めて見た娘の喪服姿は、私の知ってる娘とは掛け離れていた。


娘は、くるりと振り返った。
姿が見える筈がないのに、情けなくて、涙を拭う。

「お父さん」

化粧気のない肌が、赤く染まっている。

「居るの?」
「ああ、居るよ」

聞こえはしないだろうに、偶然か、娘は満足そうに頷いた。

「びっくりしたよ。急に死んじゃうなんて」
「私もだよ」
「うん‥‥」

爪先でつんつんと地面をつつき、まるで返事のような声を漏らした。

『恋人』だった時の妻と、その姿が重なる。
似てるんだな、と今更気付いた。


「私ね、お父さんには言ってないけど、結婚はしないつもりなんだ」
「‥‥ふうん?」
「別に、お父さんたちを見て、とかじゃないんだ。ただ、私は私のやりたいことをして
 生きていきたいの」


幼い頃から、娘には可哀想な思いをさせてきてしまった。
妻が逃げてしまったことに、私の責任がないわけがない。


「不甲斐ないな」
「ううん、お父さんが悪いわけじゃないよ」

独り言の筈なのに、私は悲しくなった。

「自分を責めないでね。私は、独りが好きなんだから」

昔から、娘には心配を掛けてきた。
無理矢理飲み会に引きずられて、帰ってくるのが夜中になっても、疲れのせいで
休みの日に遊びに連れてやって行けなくても、私の身体をいつも気遣ってくれた。

それなのに、こんなに早く死んでしまった。


謝るのは何か違う気がして、少し悩んでから言った。


「‥‥有難う」
「有難う」

「え?」


娘の頬に、涙が一筋流れた。
伝染するように、私の瞼が熱くなる。
幽霊なのに、おかしい。


「いや‥‥改めて言われると照れるな」

何が照れるだ、いい大人が。


「あはは。有難うなんて、お別れみたい」

抱きしめようとしても、その手は空を切るだけ。


「見守ってくれてるんだよね。お節介で居てくれるんだよね。これからも、ずっと」

鼻をすすりながら泣きじゃくって、私は何度も頷いた。


「成仏なんかしちゃあないよね。未練だって、あるからスーツなんか着てるんでしょ?
 いつもと同じ。だから」


喪服の袖で、ごしごしと目をこすってから、娘は右手を差し出した。


「これからも、よろしく!」


傍から見れば、娘は随分怪しいのだろうな。

私は、ゆっくりとその手に手を重ねた。

「よろしく」

満面の笑みが、眩しかった。


「よかったね、おじさん」
「感動したね。言ってあげてよかった」

双子が、同じ顔で言う。

 

「君たちは、私の声も聞こえるのか?」
「お父さん、しっかり手繋いでる?」


被ってしまった。

双子は、くすりと笑って、私と娘に言った。

 

「大丈夫だよ!」

 

娘に顔を向けると、上手く目が合った。


その瞬間に、娘が笑ったように見えたのは、私の気のせいなのだと思う。