地獄の回想録

2006年からやっているブログの記事を機械的に貼り付けました。

2007/11/06 19:51

目が覚めると、私はテレビを見ていた。
おや、と思うよりも早く、立ち上がる。
―ここは何処だ?
磨かれたフローリング、箱型のテレビ、大きなオーディオに周りを取り囲むスピーカー。
他には何処にでもありそうな家具や日用品が揃っている。しかしどれも安くはなそうだ。

私の目には、普通のリビングダイニングに映った。

 


Living;Di"e"ning

 


クイズ番組が終わり、日をまたぐニュース番組が始まった。アナウンサーが、
こんばんはと頭を下げる。
今は夜なのか。厚いカーテンを開けると、この部屋で唯一と見られる窓が現れた。
私の背よりも高く、横幅は1メートルくらいだ。
夜の闇が海のように広がっていた。

まず一息つく。状況が掴めていなかった。
部屋は常温に保たれていて、足元まで温かい。生活感はなく、余程綺麗に使って
いるのだなと感じた。

オーディオの横に置かれた麻の箱には、大量のCDがケースから出された状態で
散乱している。1枚取り出してラベル面を見ようとするが、そちらも銀色で印刷が
されていない。全て裏返っているのかと思えば、両面が裏だったわけだ。
箱の中を覗き込むと、CDの1枚1枚に私の顔が映り込んだ。嫌な感じだ。
箱を閉じた。

と、急に体が熱くなった。
私が誰かに支配されているようだ。そんなことは有り得ないのに。
とにかく手掛かりを探そうと、私は部屋を漁った。
這う、見上げる、開ける。
塵ひとつなく、誰かが生きた証もない。整然と、まるでそこにあるのが義務だというように
置かれた家具たちが、私の必死な姿を冷めた目で眺めている。

全て無駄だ。

フローリングに横たわって丸くなると、少しだけ楽になった。
『被害者の身元は判明しておらず、警察は殺人事件と断定して捜査を進めています』
ならば被害者本人に聞けばいいのに。
本人ならわかっているだろうに。

*

「君」

上の方から声が掛かった。男だ。
「何ですか」
「どうして寝ているんだ。駄目じゃないかテレビを見なくちゃ」
ゆるゆると起き上がると、中年男性が私を見下ろしていた。
「何故ですか」
「ああ、何だ。ニュースが終わってしまった。全く君は、手間が掛かるね」
私の質問なぞ聞かず、男は溜め息をついてテレビのチャンネルを回し始めた。
旅番組やバラエティ、深夜アニメなどを越え、男はニュースで手を止めた。
5分程で終わる短いものだ。
「やらないかな」
「何がです」
あっという間に番組は終わり、バラエティ番組に切り替わる。
「あちゃー」

男は不良品のCDが入った麻箱に腰を下ろした。少し軋む。
「この時間は大体バラエティですって」
私の言葉を漸く聞き入れ、男はテレビの電源を切った。ぷつん、と盛大な音がした。
「じゃあ君は見なかったのかな、さっきのニュース」
「見てません。少しだけ聞いていました」
男は溜め息をついた。
「全く、しょうがないな。君のような鈍い奴に当たってしまった私の運が悪かった。
諦めよう、全くなあ」
非道い言われようだ。突然現れておいて何なのだろう、この人は。
「さっきから置いてきぼりですよ、私は」

「直ぐにわかるさ。全て」

*

麻箱をひっくり返すと、底の板が外れる仕組みになっていた。指を引っ掛けて外すと、
白木の板の下からもう1枚CDが出てきた。今度は薄いケースに入っていて、
白いラベル面がある。
おもむろに取り出し、オーディオにセットした。
「エラーだ」

新しい発見が意味のないもので、私は苛ついた。
「エラーですよ、これ」
「だってそれ、パソコン用のROMだろう」
男はソファーに横になりながら、気のない返事をした。
「何ですって?」
CDを取り出し、ケースにしまう。男は起き上がった。
「パソコンで読み取るCD-ROMだって言ってるんだよ。だからオーディオに
入れた所で音楽が鳴る筈ないさ」
何故彼はそんなことを知っているのだろう。一目見ただけでわかるようなものなのだろうか。

「そうですか」
「何だ、もう諦めるのかね。全く、根性がないな君は」
私はむっとした。
「私のことはもういいじゃありませんか」
「何だって!」
男は突然大声を上げた。つい肩が跳ねた。
男はわなわなというように震える。何かいけないことを言っただろうか。
「君は別に鈍いわけじゃなかったんだな。よくわかった」
私の方は何を言っているのかさっぱりだ。男は私からCDを引ったくって、ひらひらと振った。
「何ですか」

「こうしてやる」
男はカーテンを開いた。そこには夜の闇が広がっている。
CDを持った右手を窓に突き出すと、あった筈のガラスを貫通して男の手は外に出た。
「本来私たちは君たちに加担するような真似はしちゃならないんだ。でも君は永遠に
この部屋に居ることになりそうだからな」
口の中が渇いてきた。男の右手を見ていると、何だかはらはらする。
「それはまずい。だからやるしかないよ」
そう言って男は、手を持ち上げた。

「やめろ!」
とっさに飛び掛かっていた。
落としたら割れてしまう。割れてしまったら終わりだ。
割れてしまったら。

私が死んだ意味も、失くなってしまうのだ。

―そうか。

体中の力が抜けた。全てに気付いてしまった。
「私は‥‥死んだのか」
男は、へたり込む私を見下ろして頷いた。
「ここは私の部屋だ」
ただし、住んでいた時間はそう長くない。入居して間もなく、私のこの「隠れ家」を
気付かれてしまったからだ。

私はプログラマーだった。それなりに自慢出来る腕を持っていた。
それに目を付けたとある国の幹部が、私にプログラムを依頼した。それは全世界の
パソコンを侵せる、サイバーテロに使われるものだった。
私は数年の歳月を掛け、言われた通りにプログラムを作った。我ながら、傑作だと思った。

しかしあくる日、降って湧いた良心に駆り立てられ、私は身を隠した。
プログラムは1枚のCDに詰め込み、パソコンのデータを抹消した。
私はそのCDを使って、コンピューター犯罪に手を染めようとしていた。
世界を混乱させる武器としてではなく、よい使い方をしようと考えたのだ。

某国のメインコンピューターに侵入し、軍事機密情報を手に入れる。またある時は
データを改ざんし、この国に有利になるように仕組む。

「まだ私は‥‥やらなきゃならないんだ」

私のやっていることは、奴らがやろうとしたことと変わりなかったのに。
「返してくれ。殺されても、私はこうして、ここに居るじゃないか。私はまだ、やるべきことが
あるんだよ」
「もう金を稼がなくていいのにか?」
男は、ぽつりと言った。

「何だって?」
「死んだんだから、国から報酬を貰う意味なんてないだろう?」
パソコンの起動音が聞こえた。先程まではなかった私のパソコンが、備え付けだった
ダイニングテーブルの上に置いてある。
男は、私にCDを手渡した。
「何をしようと、君の勝手だが」

それを受け取った私は、少し悩んだ揚句パソコンに挿入した。
男が遠くで見守る中、私は作業を続ける。
「これで‥‥終わりだ」
何も悔いが、残らないように。

エンターキーを叩くと、やっとCDのデータが完全に抹消された。跡形も残してはいけない。
私は結局、何も出来ずに廃棄してしまった。
「それでいいの?」
「‥‥すっきりしました」
「そう」

男は、左右非対称の目を横に向けた。そこには、あった筈の玄関への廊下が生まれていた。
「いやあ、全く。未練の残った奴を成仏させるのは骨が折れるね」
私は、男に笑い掛ける。
「‥‥ご迷惑、お掛けしました」

私は、2度と帰ることのないリビングダイニングに背を向けた。
私が死んでも、変わらずにここは残っている。
「よい人生を」
ついに逃げることが出来なかったこの部屋。
「あなたも」

私は、冷たいドアを押し開けた。


*


『昨日東京都文京区で見付かった身元不明死体は、さいたま市在中の金橋公平さんで
あることが判明。警察は今後も、殺人事件として』

男はそこで、テレビの電源を切った。

「いくら調べても、わかんねえだろうなあ」

死者の部屋で煙草をふかしながら、男は呟く。

プログラムひとつで殺されてしまった男。プログラムひとつの為に人を殺した国。

CDも消してしまったし、あいつのパソコンにデータは残っていない。

「何が正しいもんかねえ」

男は、長く深く煙を吐いた。
細長い窓の下に、車が走っている。

「さて」

行きますかね、と男は立ち上がる。

一仕事終えると、煙草が美味い。

今度の奴は未練がありませんように。
すぱっと成仏して、帰れますように。

「今のご時世、天使も大変だ」

生と死を繋ぐ舞台となったリビングダイニングから、男は一瞬で消えた。

煙だけが、魂のようにぼんやりと漂っていた。