2009/08/24 13:53
『エスカレート』
人の姿はない。きっと、おれ以外の全てが死に絶えてしまったのだろう。
駅には白熱灯が冷たく灯っている。
体が重い。溜まっているものが乳酸なのか疲労なのか鬱屈なのかわからないが、おれの体には何か、異物が入り込んでいて、重いのだ。
だが、電車に乗ってしまえばこちらのものだ。家は近い。早く、眠ろう。
エスカレーターは天へ伸びる。工場を走るベルトコンベアのように見えた。でも今は何も運んでいない。ただ天に、昇る。先は見えない。
溜め息と同時に、足を踏み出した。
手すりにもたれるように、項垂れる。そうしていれば勝手に、改札口の前まで辿り着く。もっと早く動けばいい。
いやに静かだ。本当に死に絶えたのか。ふと思って、顔を上げた。
女が、おれを見ていた。
おや、と思う。あんな人、居たかしら。彼女はおれより前を歩いていた筈だ。だがおれの中では、人類は絶滅していた。
見逃していたのだな。疲れているから。
女は、おれを見ている。
見ている。知り合いだろうか。目を凝らす。影の薄い顔だ。わからない。
気味が悪くて目を逸らした。
まだ見ている。見なくてもわかる。女は見ている。おれを。
頂上が見えてきた。早く帰るぞ。こんな女にこの幸せを害されたくはない。早く、昇れ。
早く。
早く。
女はおれを見ている。
何故だろう、あいつは近付いてきている気がする。しかし女は一歩も下ってなどいない。あいつは、エスカレーターから下りていないだけだ。つまりおれの方が近付いているのだ。
女は頂上に着いたと思ったら、いつの間にかその数段下に居る。それでおれを見ている。繰り返している。
エスカレーターはおれの意思など知らない。
だから女が近付いている。
当たり前だ。
目の前に。
女の顔が。
女は少し上からおれの顔を見下げると、にっと優しく笑った。
気付いたら改札口に立っていた。
早く寝よう。そればかり考えていた。