地獄の回想録

2006年からやっているブログの記事を機械的に貼り付けました。

2008/01/17 14:33

『酒の海』

 

Aは大酒飲みで、そこまで酒の強くない私はその頃既にべろんべろんだった。

Aは大口を開けて喋る。酔っていてもいなくても変わらない。
「お前、病気の方は大丈夫なのか」
「病気?私が?」

何杯目かもわからぬビールジョッキに手を付けられず、私は重たい頭を上げて笑う。
「違う。お前が何の病気にかかったっていうんだ。こないだの店で変な病気でも貰ってきたのか」
「ああ」
Aの真顔の冗談を聞いて、やっと思い出した。
「妹のことか」
私の妹は患っているのだった。

「冷たい兄だな。忘れてでもいたか」
「いや、長いもんだからな。あの子が倒れてから。実家からたまに手紙は来るが、
病についてはさっぱり書いてない」
呂律が回らなくなってきているのは自覚している。Aは赤くもならない顔で私を見下ろした。

「お前が心配すると悪いと気を使ってくれてるのさ」
そう言って、ビールをまた飲み干した。私はつまみの焼き魚をほじくる。
「違うよ。妹は助からないんだ」
「何だって?」

口から出任せだった。別に、何という意図があったわけではない。
しかし口にしてみると、成程それも有り得るのではないかという気もする。

「だから、奴は不治なんだ。多分死ぬまで、そうないと思う。それを妹に悟られない為に、
病気のことを書かないのさ」
どうしてこんな憶測がすらすらと出たのかわからない。
Aは黙って、私の分だったビールに手を付け始めた。

きりきりと痛む胃を押さえて、私は薄く笑う。

―だとしたら、どうだろう。
春の海の中をワンピース姿で歩く妹の姿を思い浮かべる。
それも徐々にフェードアウトして、私は眠りの海に沈んでいった。