2008/06/30 17:32
『僕らと宇宙人』
「本当に来るの?」
不満げに石灰を撒く僕を見て、彼はにっこりと笑った。
「当たり前だろう。本に書いてあった」
彼の顔は既に真っ白で、闇に紛れるような黒いTシャツもみすぼらしくなっている。
僕は額に流れる汗を両手で拭う。歌舞伎役者みたいになったこと、請け合いだ。
宇宙人の目撃者第2号にならないか。
正面からそう声を掛けられても、僕に言われたものだとわからなかった。
「おい、待てよ。何処行くんだ」
脇を擦り抜けようとした僕を、彼は慌てて呼び止めた。
「え、僕?」
他に誰が居たんだ、という顔をされた。昼時の購買だ。見知らぬ人は多く居たのだ。僕はそういう顔をしてみせた。
「嫌そうだな。宇宙人は嫌いか?」
「いや、そうじゃないけど」
危ない人に絡まれた、と僕は苦笑いを浮かべる。この人は何者だろう、という興味は少しそそられていてもいた。
「じゃあ決まり。来週土曜日の4時から、グラウンドだ。ちゃんと来いよ」
彼は踵を返し、唐突に去ろうとした。
「待ってよ」
引き止めたものの、疑問が多すぎる。僕は口の中で何度も言葉を選び、そして結局、
「4時っていうのは夕方のだよね?」
とだけ言った。
だから僕は朝の4時、運動部や教員たちが活動を開始する前に、学校で石灰を撒いていたのだった。
彼が爪先で引いた線を目印に、大きな袋から石灰を撒く。結構な重労働で、どうにも上手くいかない。太陽はすっかり姿を見せていて、徐々に気温が上がっていく。
1時間程掛かって、漸くそれが出来上がった。宇宙人とコンタクトを取れる図形と彼に説明されたが、僕にはただの落書きにしか見えない。
「未だかつて宇宙人と遭遇した地球人は居ないんだ」
彼はバスタオルで顔を拭いながら言った。白いのは取れていない。
「何処からの情報?」
「本に書いてあった」
僕が彼と親しければ、お前は本に書いてあれば何でも信じるのか、と嘆いただろう。
「だから俺が目撃者1号になる」
彼は勇ましく言い放つ。言葉が言葉なら、凄く格好が付いただろう。残念でならない。
「でも、誰も会ってないんじゃ、この方法で来るかどうかもわからないんじゃないの?」
「来るに決まってる」
謎の同級生は、ぎらぎらと目を光らせながらグラウンドを見ている。そうしていればUFOが来るよ、と本にあったのだろう。
じりじり、時間が過ぎた。僕は、ジュースを買ってくる為に一旦グラウンドから離れた。
無駄な時間を使った。正しく働かない目をこすり、スポーツドリンクを2本買う。一応、彼の分だ。
グラウンドに戻る途中、突然僕の名前を呼ぶ声がした。彼だ。僕は小走りで戻る。
彼の姿を見た途端、また苦笑が浮かんでしまった。彼の横に先生が立っている。僕を認めると、手で招いてくる。口の中が更に干上がり始めた。
結局、僕たちは酷く叱られた。親に連絡もされたし、宇宙人とコンタクトを取れる図形をトンボ掛けで消すことになった。
「酷い目にあった」
重たいトンボを押しながら、僕はぼやく。
「宇宙人なんか来ないんだよ。こんな苦労して」
「会えたじゃないか」
涼しい顔をして、彼は笑った。
「あの先生、あだ名がエイリアンなんだよ」
「そんなオチか」
僕は笑いながら、溜め息をついた。
野球部が登校してきた時、僕たちは炎天下の下で叱られていた。
汗がだらだらと流れ、手で拭いても拭いても切りがない。せめて職員室に場所を移してくれませんか、と言いたい。先生も辛そうではないか。
「う、宇宙人?」
その声に、僕と彼は顔を見合わせてから振り返った。野球部のユニフォームを着た男が目を丸くして立っている。彼はもう1度僕の顔を見て、それから腹を抱えて笑い始めた。清々しい程の爆笑だ。
「お前、顔が灰色だ。似てるよ、あの頭のでかい宇宙人に!」
「あの、頭の大きい?」
それなら、彼だって変わらない。どろどろに溶けた薄汚れた石灰が顔中に広がっていて、やはり灰色だ。
「ほら、よかったな。お前は目撃者2号になれたよ」
「怒られている時に何だ、お前らは」
先生に小突かれる。頭の長い先生は、確かにあの映画のエイリアンに似て見えた。
「じゃあな」
道の途中で彼と別れた。僕も彼も最後は笑顔だった。
広い空を見上げ、目を細める。濃い入道雲の中から何かが飛び出した。はっと、僕は息を飲む。
振り返って、彼の進んでいった道を見遣る。蜃気楼が立ち上り、幻想を具現化したような景色が浮かんでいる。
人影はひとつとない。
彼の名前を呼ぼうとするが、出てこなかった。そういえば、聞いていなかった。
「僕が第1号じゃないかなあ」
笑いながら呟き、親からの叱責を期待した。