地獄の回想録

2006年からやっているブログの記事を機械的に貼り付けました。

2007/04/03 20:46

『覚醒への夢』

 

二次創作だけど見つけたから上げます。

 


これが僕の求めていた世界ならば―

 

地に着いた両手に絡み付くように花が咲き乱れている。
丸く開いた花弁からは甘ったるい匂いが漂う。

いや、この香りは花ではなくこの世界自体が持つものなのかも知れぬ。
そう思えるほど、ここはこの香りに似合いすぎている。

 

まだ感じるな?この匂いが―

 

歩けど歩けど先が見えない。花の地平線は何処までも続いている。
足を前に踏み出す度に茎がざくざくと折れ、花弁が散っていく。
だというのに足にその感覚がない。足にもいい加減慣れがきたのだろう。

 

辛い苦しいにも慣れちまうってもんよ―

 

ずぷり、と足元で嫌な音がした。

 

私も―嫌、です―

 

 


私は血に染まっている。

辺りは白い。

何があるわけでもないが、もしかしたら同色の何かが動いているのかも知れない。
私に見えていないだけかも知れない。

血飛沫が上がった。

猟銃で撃ち抜かれたのかまっすぐに細い血が飛んだと思えば、血の噴射口は
斜めに擦れて地面に落ちて横を向いた。
そのせいで血が大量に地面―やはり白い―に流れ落ちていく。

あのまま垂れ流しておくなんて勿体ない、と私は思った。だから噴射口に向かった。

「おい、何してやがる」

途端威圧的な声がし、腕を引かれて頭を地に押さえつけられた。
誰だろう、こんな乱暴なことをするのは。

確認しようと顔を上げようとするが押さえつける力は思いの外強く、私は顎が痛くなって
少し嫌な気分になった。

上から声がする。さっきと同じ声だ。

「隊長殿、ついに気ィふれたのか?ああ・・・・まあ死にたくなンのかも知れねえが」

他にも誰か居るのだろうか。死にたいなどと誰が言ったのだろう。
私は興味に駆られた。

「君は・・・・そう考えることは、愚かな事だと思うかい?」

うまく喋れぬが、いつもの事なのでおかしいとは思わなかろう。

さっきの声の主は小さく笑った、ように感じた。

「誰も愚かだ何だとは言ってねえよ。死ぬ死なねえつうのも別に自由だ」

目の前で人が首を吊ろうとしていても止めないのだろうか。いや、捻くれすぎた。

自分が何を考えようが他人に愚か者扱いされる筋合いはない。
こいつは、横暴だが中々わかっている。

「君もそう思うことはあるのか?」

「俺は隊長殿みてえに繊細じゃねえからな・・・・まあ俺みたいな輩は、辛い苦しいにも
 慣れちまうってもんよ」

頭を押さえる力がすうっと弱まる。私は顔を上げた。

「君は・・・・」

その途端に、血の雨が私を襲った。不意に眉根に力を込めて目をつむる。

びたびたと顔中に生暖かい液体が降りかかる。

―こんな場所で生きていけるのだろうか。

私は少し不安になり、さっきの人間を手探りで探した。

振る手はただ、空を切るだけだった。

 

 

硝煙のような煙草の煙が部屋中に蔓延していて、鼻の付け根が痛くなった。
天井の柔らかな明かり―といえば聞こえは良いが、電球が切れかけているだけ―は
私と男を何となく照らしている。

部屋の角は真っ暗で、そこから恐ろしいものでも出てくるんじゃないかと思った。

男はバーカウンターの様な長細い机の上で煙草を吹かしている。
机上の灰皿には、銘柄の違う吸い殻が積まれていた。

男は煙草を下に落として靴で揉み消し、回転椅子を回して私の方を向いた。
何処からか軽やかなクラシックが聞こえる。男はそれを聞くと嫌な顔をした。

「僕はクラシックは嫌いだ」

嫌いなら聞かなければいいというのに。

男はまた煙草をくわえて、マッチを擦って火を点けた。
すう、と思い切り煙を吐き出すと、また部屋が曇った。凄い匂いである。

朧げに光る電球がまるでスポットライトの様に男を照らしている。

「君、まだ身体は動くね?」

男はそういうと、私の頭から爪先まで視線を滑らせる。
私が鼻先を掻くと、男は声を上げた。

「おぉッまだ大丈夫か」

動くに決まっているというのに。
男は立ち上がって私の前に立った。

「手をこう・・・・出せ」

私の手を掴み手の甲を出させる。
そして持っていた煙草を―押し付けた。

「熱ッ」

いきなり何をするのだ、この男は。

私がきっと男を睨むと、男はにやりと笑った。

「馬鹿だ!矢張り猿だな、良く見ろ」

彼の持つ煙草には、火が点いていない。手に火傷など勿論ない。

「これで何故熱いと感じた?」

そういえば―何故だったろう。

灰皿に積まれた吸い殻の山からは、まだ消えていない火が煙を放っていた。
男は席に戻りその煙草をまた吸う。

「わからないか?ならいいよ。思い込みは意識して出来るものじゃないからな!」

「思い込み?」

「そうだ。人間物を見るのも音を聞くのも、意識してする事じゃないだろ?」

そうだろう。それなら私みたいな鈍臭い人間は生きていけない。

「ああやだやだ。まだクラシックが」

ばん、と急に大きな破裂音がして私はつい小さく声を上げてしまった。シンバルか。
ずっと流れていた筈なのに。私は何故気が付かなかったのだろう。

いや、気に止めなかったのだ。気に止める、というのも無意識の行いなのだ。

五感で無意識に行っている行為を意識上に上げる為に気に止めるのである。
だから日常の中で感じている光景や音などを感知する事は、無意識に
気に止めているということになる。

なら思い込みも気に止めれば意識をしながら行っている事になるのだろうか。
しかしそれは到底無理だ。

「覚醒してきたか?意識朦朧もいい加減にしておけ!良く周りを見ろ」

私が辺りを見回すと、男はああ違う違うと云って溜息を吐いた。

「意識して生きていればわかることは沢山ある。だから今の君は何もかも朧にしか感じない」

何故か目眩を感じた。

男は煙を吐く。私はむせた。

「だから君を助ける気持ちでこう説いてあげてるんだぞ。感謝しろ、そして続けよう!
 今君の感覚は大変薄れている。ん?薄いというより矢張り朦朧だな。朦朧としてるから、
 君のその感覚を引き出してやろうと思う」

「感覚を・・・・引き出す?」

長い机ががたりと揺れた。男が煙草を揉み消したのだ。

「さあ・・・・まだ感じるな?この匂いが」

そうだ。
この部屋は煙で満ちているのだ。

鼻がつうんと痛む。
目眩が酷くなる。

燐のきつい匂いが、身体中に広がった。

 

 


手が動かないのではない、頭が働かないのだ。

机に広がる原稿用紙は全て真っ白で、手に持つ鉛筆は尖ったままである。
普段ならネタを掠める為に友人宅に向かったりする所だが、今日は監視付きなので
そういうわけにはいかない。

だから私は普段以上に頭が働かないのだ、とさっきからずっと欺瞞をし続けて呆っとしている。

時間の感覚がない。一体私は何時間こうしているのだろうか。
さっきというのも随分と曖昧なものだ。
最初からこうしているのかも知れない。なら私は酷く無駄な時間を過ごしている事になる。

監視をしている彼女にも悪いことをしている。謝ろうか。

強制してされられているので別にこっちが謝る必要も無いのでは無いか?
どうせ監視が着いた所で何時かかろうと出来ないものは出来ぬ。
それは彼女も了承していよう。

「どうですか?先生」

出来ていないのは一目瞭然だろうに。

「進みませんね。兄貴も呼びますか?」

そう言って彼女はくすりと笑った。そして猫の様に踵を返すと、机とも箱ともつかぬ黒の
四角の上に登る。

「どうしましょう先生、もう時間がありませんわ」

時間が無くなるとはどういう事なのだろう。時間が無くなってしまったらこの世は
終わってしまうのだろうか。

いや、恐らく人間はまた自分達が暮らしやすいように時間を作り上げるのであろう。
日が沈まぬとも時計の針が動かずとも進む時を作ってしまうのだ。

人間は、人それぞれ流れている時間が違うという。
それは個人が感じている時というものであり、例え時間が無くなろうとそれは
流れ進み続けるのだ。
時が流れていると自覚するのは時計の針が回るからではなく、個人が持つ感覚が
流れているのではないか。

なら私の中の時計はどれだけスローに進んでいるのだろう。流れを感じなくなる程
ゆっくりと進んでいる。
もしくは止まっているのかもしれない。

それなら時間など存在しないに等しい。私には、元から時間がないのである。

「いやだ先生、皆人間は時間の流れの中に生きているんですよ」

そんな事は知っている。時の止まった人間などこの世には存在しない。

彼女は箱の上から私を見下ろしながら言う。

「先生は身を持って体験していられますもんね。時の流れに逆らう事なんて
 出来ないんです。人間は老化し、時が来れば死を迎えます」

彼女はそこで言葉を切って目だけで笑った。口元は無表情だ。
真上から差す蛍光灯が、彼女の顔に大きな影を作る。

「先生が時の流れに逆らっているのなら、先生は不老不死という事になりますね」

「僕は不老不死かね」

「ええ。でも先生は今もまだ老け続けてますから、不老な訳ではないでしょう。
 老いれば死んでしまう」

何もが敵わぬ絶対無敵の殺人者。
それが時、か。

「ふふ。矢張り詩的なんですね、先生は」

「そうかな」

そう思われていると解ると急に恥ずかしくなって、私は赤面した。
彼女は箱の上でしゃがみ、私と目線を合わせた。しかし何をしようと、別に私が
彼女の顔を見て話すわけでもない。

私は一応、形だけ、原稿用紙と睨み合いをしているのだ。

「先生。もし、今から不老不死になれたら先生は・・・・嬉しいですか?」

声を落として、物悲しげな口調で彼女は言った。

不老不死―嬉しいとは思うまい。私はそこまで生に執着はない。
老いもせず死にもせずなら周りは私に注目を集めるだろう。その間には友人も親戚も―

妻も、老いる。後は死を待つだけだ。
私は堪えられるだろうか。

いや―確実に無理だ。

ああ、明日は何をしよう?
今私は何歳だ?
頭にぼんやりと影が浮かぶ
誰だったろうか。

何だか、酷く悲しくなった。

「生きていればその内何か生き甲斐が見つかるかもしれませんよ」

見つかるだろうか。私は云十年だらだらと生きてきてまだそれが見付かっていない。

見付かるまで生きていられるだろうか。

生きていて、見付かるだろうか。

時は止まらぬ。人はいつか死ぬ。それで良いのではないか?
そうでないと、人は死ぬまで生きていられないだろう。

彼女はそうですか、と呟きながら箱を降りた。

あの箱の中身は、どうせ死体だ。

「嫌ですよね」

彼女は眉をひそめて笑った。

「すみません、馬鹿な質問をして。ただ気になってしまって」

人間好奇心は尽きないものだ。責めることはない。
やはり皆不老不死は憧れるものだろうか。
そういえばいつだかにも不老不死の話をされた。

私は生に執着はない方なので、と、そう簡単に考えてしまえば私が不死になっても
意味がないように思う。ならもっと社会の為になるような人間がそうなれば良い。

いや、それは不死不死という枷を与えているだけだ。誰であれ辛い。

「先生、もう時間過ぎちゃいました」

彼女はそう言って、優しく笑った。

「今からでも遅くはありません・・・・遅いですが・・・・書き上げてしまいませんか?」

間に合わなければ書く必要もなかろう。

「違いますよ。先生を解放する為には、先生自身に頑張ってもらわないといけないんです。
 甘やかしちゃ後で辛い思いをするのは先生なんですから」

「全く、厳しいな」

「ふふ、そうですか?」

溜まっていた時を、流そうか。

「やっぱり、動かない時なんて・・・・私も―嫌、です」

人間皆、老けて死ぬのが御所望か?おかしなものだ。

私は笑った。彼女も笑う。

書けるかなどわからない。ただ時を、動かすだけの為だ。

私は原稿用紙に鉛筆の先を付けた。

 

 


歩く途中で、そんな幻想を見た。

 

延々と続く花畑。

私は、何処へ行くのだろう。

何処から来たのだろう。

帰り道は何処だ?

何処へ、帰れば良い?

帰路に着いているのかも知れぬ。

ああ、誰か。

 

此処は何処だ?

 


ゆっくりと眼を開けると、見慣れた顔が見えた。

「いつまで倒れている。邪魔だからさっさと起きたまえ」

何を言う。君は避けるのだから此処に居る私など関係なかろう。

それよりも―私は、歩かなくては。

「無理か?じゃあいい。倒れていろ」

友人は、殆ど色のない、いつもの出涸がらしの茶を啜った。
私に持って来てくれた物だろう。悪い事をした。

しかし―

「それでは・・・・帰り道が見付からない」

「帰り道?」

友人は茶を啜るのを止め、私を酷く凶悪な表情で鋭く睨んだ。
私はゆっくりと身体を起こす。意外と近くにあるのかも知れぬ。

「馬鹿な。まさか自分の家までの帰路すら忘れたのかね?いい加減にしたまえよ。
 雪絵さんが来ると言っているだろう」

 


「来た」

しゃんと襖が開く。


もっと夢を見ていたかったというのに。

帰り道などなかった。
私には帰るべき場所などないのだから、ひたすら探し続けている方が楽だったのだ。
堕落した日常に慣れ、感覚を失った私は、時間の流れに眼を背けながら酷く無駄な人生を
送っている。

ならば、未知なる物を探している方がずっと良く生きているように見えるだろう。

 


「一体どれくらいの人に迷惑を掛けると思うんです」

「え?」

いつの間にか、私と雪絵は京極堂の外に居た。

「だから、勝手に何処かにふらふらと。事故にあったりしない保証はないんですから」


雪絵は困ったように微笑んだ。

内心は怒っている筈だ。
それはそうだ。

私の歩みは普段―から遅いというのに―より随分と遅く、反応はといえば話を
聞いていた様子ではなかったからだ。

それでも妻は私に合わせ横に並び、語りかけ続けている。


謝ろうとした。しかし気の利いた言葉が思い付かず、一言ぼそりと呟いただけだ。
雪絵は、私の手を引いて道のはじに避け、向き直って言った。

「タツさん」

「わ―悪かった」

「タツさん」

「気をつける」

「タツさん、止めてください」

「―でも、僕は」


「どうして謝るんです?私は怒っているだなんて一言も言ってないじゃないですか。
 謝れとも言ってません。しゃんとして貰わないと、私も困ります」

 


慣れとは恐いものだ。私なんかには勿体ない賢妻で―

感覚とは感情だ。愛しいと思うのも、また感情であり―

時の流れには追いつけない。追われ過ぎて気付かなかった、それ。


「雪絵―」

私は、彼女を愛しているのだ。
彼女はどうだか知らないけれど。

幻想は、私の足を押し、帰るべき場所を目指す。

 

「帰りましょう、タツさん」

冷えた風が髪を揺らす。

「ああ―」


夢から覚めた私は、やっと帰路に着いた。