地獄の回想録

2006年からやっているブログの記事を機械的に貼り付けました。

2019/11/14 14:44:22

お題『梅の木に山鳥


『梅に山鳥

 

 壊れたら作り直せばいい。宇宙の神秘が暴かれ月面旅行が庶民の贅沢になった今でも、その考えを命に当てはめることは許されていなかった。
 周囲からは悲鳴が聞こえる。交差点のど真ん中に停車したトラックの運転手と目が合った。ハンドルを握ったまま硬直する指先の感覚が、俺のもののように伝わってきた。
「救急車!救急車!」
「おい運転手、降りてこいよ!」
 怒号の中、俺は口を半開きにしてただトラックの運転手を見つめていた。彼が下敷きにしている女のことを、その数分間だけは忘れていた。

 

 

 上司からの着信に、誰も見てやいないのに背筋が伸びる。はいはいと小さく返事をして、ビデオ通話を繋いだ。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
「どうしたんですか?」
「京都支部から連絡があってね。東京の客が、何度も同じ日時でアクセスしてくるって」
 つい瞬きが増えるのを、咳払いでごまかす。ちょっと待ってくださいねと白々しい台詞を吐いて、顧客リストを呼び出した。
「ああ、この人。今も来てますね」
「来てますねじゃないよ、桜ちゃん。5回以上同じアクセスをしてる時は本部に連絡しろって言われただろう」
「あ、でも今日で5回目ですよ」
「君ね、ハタチって言っても社会人なんだからそのへんのホウレンソウはきちんと出来るようになりなさいよ」
 動悸と息切れを感じながら、モニターに向かって頭を下げる。上司は呆れたように首を振った。
「で、そのお客さんの情報は?」
「は、はい。7日前から今日にかけて合計5回、21年前の2月5日の京都に向かっています」
「タイムラインの変動値は?」
「ええっと、0.05%です。異常は出ていません」
「おい、0.05でも20回繰り返せば1だぞ」
「え?0.05は0.05です」
「そういうことが言いたいんじゃないんだ。君はアカシックレコードの管理者という意識に欠けている」
「すみません」
「もういいから。東京に1人向かわせる。2人体制になるか・・・・・・君の処遇がどうなるかわからんが」
「はい」
 もう1度謝って、通話を切る。涙は出なかったが、じっとりと汗をかいていた。
 溜め息をついて立ち上がり、防音扉の窓からシネコデクションルームを見る。マシンはまだ作動しているようで、横たわる男の脚がマシンから覗いていた。
 マシンの構造は研修で習ったが、完全には理解していないしそれでも仕事は出来た。私が行うのはアカシックレコードから引き出したフィルムとまっさらなフィルムをマシンに通すだけで、あとは車輪のようなものがそれを巻き取っていってくれる。2枚のフィルムはマシンの中で1つになり、またアカシックレコードに記録されていくのだ。
 どうも、古い映画の機械と似た仕組みらしい。アカシックレコードが存外古いテクノロジーで保存されていたため、私たち人類は数百年前の資料をひっくり返してこのマシンを作る必要があったということだ。
 私はドアの前でうろつきながら、マシンが停止するのを待った。1回の最長使用時間は1時間だから、あと3分もないはずだ。
 防音扉が開いたのは、うろつくのに飽きてインスタントコーヒーにお湯を注ぎ始めた時だった。扉から出てきた男は半開きの口を閉じることなく、ふらふらと私に近づいてきた。シネコデクション体験にはほとんど危険性がない。彼のこの状態は、21年前の京都に飛んだことによる害ではないのだ。
「大丈夫、山鳥君」
 山鳥君は返事をせず、壁にもたれかかった。1週間前、最初にシネコデクションを行ってからずっとこの調子だ。異常があるのは明らかだが、幼馴染の彼について上司に報告するのは気が引けたのだ。
「どうしても間に合わないんだ」
「何が?」
「頼むよ桜。14時前、13時20分の烏丸五条の交差点に飛ばしてくれ」
「無理だよ。本部でその時間には飛べないように決められてるの」
 彼に頼まれて確認しても、その周辺の時間にアクセスすることは出来ないようだった。こういう時間はいくつか設定されていて、例えば戦争の引き金になる出来事の前後1時間だったり、弊社に関わる事柄の前後1時間だったりする。気軽に改変されては困る過去は、触れられないようになっているのだ。
「飛ばしてくれよ。そうじゃないと間に合わないんだ。彼女が事故るのが13時23分。京都駅から走ったって目の前で死んじゃうんだよ」
 山鳥君はしゃがみこみ、ぼろぼろと涙を流した。頭で鳴る上司の声を無視して、彼のそばに屈む。
「ごめんね、力になれなくて」
 そもそも私がシネコデクションに誘わなければ、山鳥君はこんなにぼろぼろになっていなかっただろう。罪悪感がないではなかった。
「でも、出来ないんだよ。そこには飛ばせないの」
「助けたいんだ」
「こっちでまた好きになれる人を探そうよ」
「命に替えなんて効かないんだよ」
「効くよ」
 山鳥君の顔がゆっくりと持ち上がって、私をじっと見る。
「お前が代わりになれるかよ」
 仏壇の中の遺影を見つめる幼い彼の視線とは、まるで違う視線だ。
 姉は修学旅行先で亡くなったらしい。一人娘として15年間育てられて、その15年間「弟妹が欲しい」だなんて一言も言わなかったと聞いた。両親だって、作る気がなかったのだろう。
「・・・・・・わかった」
 温度のない山鳥君の視線を避けて立ち上がり、パソコンに向かう。上司に通話を繋ぐと、モニターに露骨に不機嫌そうな顔が映った。
「色々考えましたが、辞めさせていただこうかと思います」
「辞める?仕事をか?」
 私がうなずくと、上司は眉を下げて変な表情をした。
「そうか、残念だ。荷物をまとめておいてくれ。自主退職で処理出来るならこちらとしてもいい」
「はい。お世話になりました」
「はい、お疲れ様」
「桜、何?」
 呆然とする山鳥君の腕を掴んで立たせ、シネコデクションルームに押し込む。
「寝て」
 マシンの上に寝たのを確認し、アカシックレコードを開いた。ロックがかかっていた姉の死の前後が、選択出来るようになっている。どうせクビになる定めだったのに、会社にとって不要な存在になったときっぱりと示されたようで少し寂しくなった。
 21年前の2月5日。13時10分。京都駅。呼び出した時刻のフィルムをマシンにセットする。
「お姉ちゃんのこと、美人で優しくて芯の強いしっかり者としか聞いてないんだ。私と違って、嫌なことはちゃんと嫌って断れるんだろうね。いい人っぽいし、生きてれば少なくとも山鳥君とうちの両親を幸せに出来る。私より社会に貢献するんだ。ねえ、山鳥君。スタートするよ」
 からからと音を立てて、フィルムが巻き取られていく。山鳥君は最後まで、一言も喋らなかった。
 事務室に戻り、入れかけていたインスタントコーヒーをコップごとゴミ箱に捨てる。変動値は0.05、0.09。世界は変わろうとしていた。

 

 雑踏を走りぬけ、5度目の烏丸五条の交差点に向かう。ビルの立ち並ぶ歩道から、5分もせずに目的地にたどり着いた。いつも赤だった横断歩道を渡り切り、息をつく。
 何度も無理だと言った桜が、どうやって俺をここに飛ばしたのかはわからない。しかしこのチャンスを逃すことは出来ない。桜は自分の命を捨ててまで、俺の背を押してくれたのだ。もしかしたら、あいつは俺のことが好きだったのかも知れない。でも今はどうでもいいことだ。
 それからすぐに彼女は現れた。セーラー服に身を包んだ彼女は、クラスメイトと離れて1人歩いていた。
 俺は彼女の腕を掴み、歩道の内側に引き寄せる。簡単にへし折れそうな、細い細い腕だ。
「聞いてくれ。今から君は死ぬ。この横断歩道にトラックが突っ込んでくるんだ。俺は君を助けに来た。君の妹の友達だ」
「妹?」
 彼女はきょとんと目を丸くして、俺を見上げる。俺はたまらず彼女を抱き締めた。やっと救えた。やっとこの手で触れられた。遺影の中の写真に一目惚れしてから、10年経っていた。
「あの」
「20年後、俺が生まれるから」
「離して」
「その時また会おう、小梅。桜がいなくたって接点を作ってやる。それで」
「離してください!」
 周囲の目が一斉に俺を向く。俺が慌てて腕の力を緩めると、彼女はするりと抜け出した。
 エンジン音が鳴る。何度も聞いた低い唸り声だ。近づいてくる。運転手の青ざめた顔が頭に浮かんでは消えた。
「小梅!」
 横断歩道を走り出す彼女の腕を、再び掴む。掴もうとした。
 彼女は俺を避けた。しまった。また掴めなかった。叫び声をあげそうになった直後、俺の視界はぐるりと一回転した。彼女の顔を上の方から見ていた。彼女は僅かに笑っていた。

 

 はっと顔を上げると、コップの中のコーヒーはすっかり冷め切っていた。
 慌ててシネコデクションルームを開くが、誰も利用者はいない。眉間を押さえ、息を吐く。疲れているのかも知れない。溜まった有給と「東京支部」とは名ばかりのワンオペ業務のことを考えながらデスクに戻り、冷たいインスタントコーヒーを流し込んだ。
 パソコンのモニターにメッセージが表示されている。私が返信をしないからか、何度も同じような内容が送られてきていた。キーボードを叩き、エンターキーを押す。
『これ会社のパソコンなんだけど』
『知ってるよ。で、どうなの?月旅行は』
『無理だよ。長期休み取れないもん』
『辞めちゃえば?そんな仕事』
 少しだけイラついて、強めにエンターキーを叩く。
『お姉ちゃんは私のこと、都合がいい遊び相手と思ってるからそんなこと言えるんだよ』
『そんなことないよ。大事だから心配なんだって。私が妹が欲しいって言い出したから桜がいるんだよ。一生責任持つから』
 眉間にしわを寄せて、カレンダーを睨む。シャトルの予約は何ヶ月前からだろう。それまでに私は、あの嫌な上司に辞表を送りつけているのだろうか。月の地の感覚はどうだろう。折角生きているのだから、知っておいてもいいかも知れない。
『仕事に戻ります』
『あっそ。そんなに仕事がしたいなら1つ教えとくから何とかレコードに記録しておきなよ。面倒なやつには絶対に取り合うな。京都の人はね、そういう時襖に梅の木に山鳥が描かれた部屋に通すんだって。どういう意味かわかる?』
『お姉ちゃんからのメッセージは今後取り合わないことにしたからわかりません』
 少しの間をおいて、親指を立てた絵文字が飛んでくる。姉の笑い声が聞こえる気がして、少しだけ口元が緩んだ。