地獄の回想録

2006年からやっているブログの記事を機械的に貼り付けました。

2019/11/14 14:44:22

お題『梅の木に山鳥


『梅に山鳥

 

 壊れたら作り直せばいい。宇宙の神秘が暴かれ月面旅行が庶民の贅沢になった今でも、その考えを命に当てはめることは許されていなかった。
 周囲からは悲鳴が聞こえる。交差点のど真ん中に停車したトラックの運転手と目が合った。ハンドルを握ったまま硬直する指先の感覚が、俺のもののように伝わってきた。
「救急車!救急車!」
「おい運転手、降りてこいよ!」
 怒号の中、俺は口を半開きにしてただトラックの運転手を見つめていた。彼が下敷きにしている女のことを、その数分間だけは忘れていた。

 

 

 上司からの着信に、誰も見てやいないのに背筋が伸びる。はいはいと小さく返事をして、ビデオ通話を繋いだ。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
「どうしたんですか?」
「京都支部から連絡があってね。東京の客が、何度も同じ日時でアクセスしてくるって」
 つい瞬きが増えるのを、咳払いでごまかす。ちょっと待ってくださいねと白々しい台詞を吐いて、顧客リストを呼び出した。
「ああ、この人。今も来てますね」
「来てますねじゃないよ、桜ちゃん。5回以上同じアクセスをしてる時は本部に連絡しろって言われただろう」
「あ、でも今日で5回目ですよ」
「君ね、ハタチって言っても社会人なんだからそのへんのホウレンソウはきちんと出来るようになりなさいよ」
 動悸と息切れを感じながら、モニターに向かって頭を下げる。上司は呆れたように首を振った。
「で、そのお客さんの情報は?」
「は、はい。7日前から今日にかけて合計5回、21年前の2月5日の京都に向かっています」
「タイムラインの変動値は?」
「ええっと、0.05%です。異常は出ていません」
「おい、0.05でも20回繰り返せば1だぞ」
「え?0.05は0.05です」
「そういうことが言いたいんじゃないんだ。君はアカシックレコードの管理者という意識に欠けている」
「すみません」
「もういいから。東京に1人向かわせる。2人体制になるか・・・・・・君の処遇がどうなるかわからんが」
「はい」
 もう1度謝って、通話を切る。涙は出なかったが、じっとりと汗をかいていた。
 溜め息をついて立ち上がり、防音扉の窓からシネコデクションルームを見る。マシンはまだ作動しているようで、横たわる男の脚がマシンから覗いていた。
 マシンの構造は研修で習ったが、完全には理解していないしそれでも仕事は出来た。私が行うのはアカシックレコードから引き出したフィルムとまっさらなフィルムをマシンに通すだけで、あとは車輪のようなものがそれを巻き取っていってくれる。2枚のフィルムはマシンの中で1つになり、またアカシックレコードに記録されていくのだ。
 どうも、古い映画の機械と似た仕組みらしい。アカシックレコードが存外古いテクノロジーで保存されていたため、私たち人類は数百年前の資料をひっくり返してこのマシンを作る必要があったということだ。
 私はドアの前でうろつきながら、マシンが停止するのを待った。1回の最長使用時間は1時間だから、あと3分もないはずだ。
 防音扉が開いたのは、うろつくのに飽きてインスタントコーヒーにお湯を注ぎ始めた時だった。扉から出てきた男は半開きの口を閉じることなく、ふらふらと私に近づいてきた。シネコデクション体験にはほとんど危険性がない。彼のこの状態は、21年前の京都に飛んだことによる害ではないのだ。
「大丈夫、山鳥君」
 山鳥君は返事をせず、壁にもたれかかった。1週間前、最初にシネコデクションを行ってからずっとこの調子だ。異常があるのは明らかだが、幼馴染の彼について上司に報告するのは気が引けたのだ。
「どうしても間に合わないんだ」
「何が?」
「頼むよ桜。14時前、13時20分の烏丸五条の交差点に飛ばしてくれ」
「無理だよ。本部でその時間には飛べないように決められてるの」
 彼に頼まれて確認しても、その周辺の時間にアクセスすることは出来ないようだった。こういう時間はいくつか設定されていて、例えば戦争の引き金になる出来事の前後1時間だったり、弊社に関わる事柄の前後1時間だったりする。気軽に改変されては困る過去は、触れられないようになっているのだ。
「飛ばしてくれよ。そうじゃないと間に合わないんだ。彼女が事故るのが13時23分。京都駅から走ったって目の前で死んじゃうんだよ」
 山鳥君はしゃがみこみ、ぼろぼろと涙を流した。頭で鳴る上司の声を無視して、彼のそばに屈む。
「ごめんね、力になれなくて」
 そもそも私がシネコデクションに誘わなければ、山鳥君はこんなにぼろぼろになっていなかっただろう。罪悪感がないではなかった。
「でも、出来ないんだよ。そこには飛ばせないの」
「助けたいんだ」
「こっちでまた好きになれる人を探そうよ」
「命に替えなんて効かないんだよ」
「効くよ」
 山鳥君の顔がゆっくりと持ち上がって、私をじっと見る。
「お前が代わりになれるかよ」
 仏壇の中の遺影を見つめる幼い彼の視線とは、まるで違う視線だ。
 姉は修学旅行先で亡くなったらしい。一人娘として15年間育てられて、その15年間「弟妹が欲しい」だなんて一言も言わなかったと聞いた。両親だって、作る気がなかったのだろう。
「・・・・・・わかった」
 温度のない山鳥君の視線を避けて立ち上がり、パソコンに向かう。上司に通話を繋ぐと、モニターに露骨に不機嫌そうな顔が映った。
「色々考えましたが、辞めさせていただこうかと思います」
「辞める?仕事をか?」
 私がうなずくと、上司は眉を下げて変な表情をした。
「そうか、残念だ。荷物をまとめておいてくれ。自主退職で処理出来るならこちらとしてもいい」
「はい。お世話になりました」
「はい、お疲れ様」
「桜、何?」
 呆然とする山鳥君の腕を掴んで立たせ、シネコデクションルームに押し込む。
「寝て」
 マシンの上に寝たのを確認し、アカシックレコードを開いた。ロックがかかっていた姉の死の前後が、選択出来るようになっている。どうせクビになる定めだったのに、会社にとって不要な存在になったときっぱりと示されたようで少し寂しくなった。
 21年前の2月5日。13時10分。京都駅。呼び出した時刻のフィルムをマシンにセットする。
「お姉ちゃんのこと、美人で優しくて芯の強いしっかり者としか聞いてないんだ。私と違って、嫌なことはちゃんと嫌って断れるんだろうね。いい人っぽいし、生きてれば少なくとも山鳥君とうちの両親を幸せに出来る。私より社会に貢献するんだ。ねえ、山鳥君。スタートするよ」
 からからと音を立てて、フィルムが巻き取られていく。山鳥君は最後まで、一言も喋らなかった。
 事務室に戻り、入れかけていたインスタントコーヒーをコップごとゴミ箱に捨てる。変動値は0.05、0.09。世界は変わろうとしていた。

 

 雑踏を走りぬけ、5度目の烏丸五条の交差点に向かう。ビルの立ち並ぶ歩道から、5分もせずに目的地にたどり着いた。いつも赤だった横断歩道を渡り切り、息をつく。
 何度も無理だと言った桜が、どうやって俺をここに飛ばしたのかはわからない。しかしこのチャンスを逃すことは出来ない。桜は自分の命を捨ててまで、俺の背を押してくれたのだ。もしかしたら、あいつは俺のことが好きだったのかも知れない。でも今はどうでもいいことだ。
 それからすぐに彼女は現れた。セーラー服に身を包んだ彼女は、クラスメイトと離れて1人歩いていた。
 俺は彼女の腕を掴み、歩道の内側に引き寄せる。簡単にへし折れそうな、細い細い腕だ。
「聞いてくれ。今から君は死ぬ。この横断歩道にトラックが突っ込んでくるんだ。俺は君を助けに来た。君の妹の友達だ」
「妹?」
 彼女はきょとんと目を丸くして、俺を見上げる。俺はたまらず彼女を抱き締めた。やっと救えた。やっとこの手で触れられた。遺影の中の写真に一目惚れしてから、10年経っていた。
「あの」
「20年後、俺が生まれるから」
「離して」
「その時また会おう、小梅。桜がいなくたって接点を作ってやる。それで」
「離してください!」
 周囲の目が一斉に俺を向く。俺が慌てて腕の力を緩めると、彼女はするりと抜け出した。
 エンジン音が鳴る。何度も聞いた低い唸り声だ。近づいてくる。運転手の青ざめた顔が頭に浮かんでは消えた。
「小梅!」
 横断歩道を走り出す彼女の腕を、再び掴む。掴もうとした。
 彼女は俺を避けた。しまった。また掴めなかった。叫び声をあげそうになった直後、俺の視界はぐるりと一回転した。彼女の顔を上の方から見ていた。彼女は僅かに笑っていた。

 

 はっと顔を上げると、コップの中のコーヒーはすっかり冷め切っていた。
 慌ててシネコデクションルームを開くが、誰も利用者はいない。眉間を押さえ、息を吐く。疲れているのかも知れない。溜まった有給と「東京支部」とは名ばかりのワンオペ業務のことを考えながらデスクに戻り、冷たいインスタントコーヒーを流し込んだ。
 パソコンのモニターにメッセージが表示されている。私が返信をしないからか、何度も同じような内容が送られてきていた。キーボードを叩き、エンターキーを押す。
『これ会社のパソコンなんだけど』
『知ってるよ。で、どうなの?月旅行は』
『無理だよ。長期休み取れないもん』
『辞めちゃえば?そんな仕事』
 少しだけイラついて、強めにエンターキーを叩く。
『お姉ちゃんは私のこと、都合がいい遊び相手と思ってるからそんなこと言えるんだよ』
『そんなことないよ。大事だから心配なんだって。私が妹が欲しいって言い出したから桜がいるんだよ。一生責任持つから』
 眉間にしわを寄せて、カレンダーを睨む。シャトルの予約は何ヶ月前からだろう。それまでに私は、あの嫌な上司に辞表を送りつけているのだろうか。月の地の感覚はどうだろう。折角生きているのだから、知っておいてもいいかも知れない。
『仕事に戻ります』
『あっそ。そんなに仕事がしたいなら1つ教えとくから何とかレコードに記録しておきなよ。面倒なやつには絶対に取り合うな。京都の人はね、そういう時襖に梅の木に山鳥が描かれた部屋に通すんだって。どういう意味かわかる?』
『お姉ちゃんからのメッセージは今後取り合わないことにしたからわかりません』
 少しの間をおいて、親指を立てた絵文字が飛んでくる。姉の笑い声が聞こえる気がして、少しだけ口元が緩んだ。

2019/03/06 18:51

『ふたりきりバベル』

 バベルの塔は神様が思っていた以上に木っ端微塵になった。俺たち人間はひとりにひとつ、違った言語を獲得して生きる苦悩を背負わされたのだ。
 親が子に言語をインプットする以前に、赤児の脳には個人語が組み込まれている。この個人語というのは俺が勝手につけた言葉で、俺だけが便利に使っている。
 親は教育の過程で、子の持つ個人語を理解しすり合わせていかなければならない。親にとっての「ママ」が「母親」を意味しても、子にとっては「早めに首を吊って死ね」の意味であることもあるのだ。
 俺たちの一生のほとんどはそうして、他人の言語を理解することに費やされる。人間の遺伝子は古来から、偉い人が何とか男と女をペアにしてセックスさせることで続いてきた。
 俺の両親は、家庭内でほとんど会話をしなかった。誤解を恐れていたのか何なのか今でもわからないが、どこの家庭でも似たようなものだろう。

 ――神保町は紙束の街だ。人々はここに黄ばんだ紙の匂いを嗅ぎに来る。彼女と出会ったのは、一層黄ばんだ紙束の店の中だった。
 俺は嬉しそうに紙束をめくる彼女の横顔に、妙にぐっときてしまった。声をかけねばと思っても、俺から出る言葉の意味を彼女は知らない。傷つける可能性だってある。
 それでもいても立ってもいられず、俺は紙束をひとつ手にとってぺらぺらとめくった。そしてその中から、俺が「犬」として認識しているものを見つけて彼女に見せた。
「これ、犬です。犬」
「****?」
 彼女は困ったように笑った。それがまた最高によくて、俺は何だかんだと喋りかけ続けた。
 彼女にとってのロバが犬だとわかるまで、1時間かかった。俺の名前を理解してもらうまで、1ヶ月かかった。結婚してくれないかと伝えるまで、3年もかかった。
 彼女は目に涙を浮かべ、うなずいて言う。
「早めに首を吊って死ね」
 一瞬で顔面を蒼白にさせた俺に、彼女は思い切り抱きついた。

2019/02/01 15:23

『最後の一人』

 インフルエンザの流行で日本の人口が半分になった。なんだか知らんが俺たち人間の肉体は、元々インフルエンザには耐えられないようにできていたのだ。俺たちに与えられていた執行猶予の期限は切れた。それだけだ。
 友達も好きな人もアイドルも死んだ世界にそこまで興味が抱けなくて、俺はマスクも付けず街中をブラブラしていた。結構道端に死体が転がっていたりして精算な光景だが、ここまで致死率が高いと逆に蔓延していないのではとも思う。
 その男に声をかけられたのは、自販機でぬるいコーヒーを買っていたときだった。
「マスクは?」
「いらねえ」
「すごいな。もしかしてホモ・サピエンスか」
 やばいなあ、と思った。インフルエンザは脳も侵してしまうらしいから、この男も可哀想に脳をやられているのだろう。
「まあ、人間ですけど」
「いや、人間は俺たちのはずだった。君はうまいこと生き残っていた旧人類なんだな。こんな風に出会うなんて驚きだ」
 男は真っ青で、今にも死にそうにふらついていた。
「参ったよ。旧人類の肉体を乗っ取り入れ替わっていったのはいいが、このざまだ。おかげで我々は滅びようとしている」
「はあ」
「君のような旧人類がまだ残っていたのなら、ヒトはあるいは滅びないのかもな」
 悔しいね、と男は笑った。やっぱりインフルエンザは怖い。俺は逃げるようにして家に帰り、雑菌まみれの冷たい珈琲を捨ててマスクを付けた。

2018/11/23 15:09:27

『ルナティック』

お題「餅と鍋」「月」

 加藤の遺影はよく撮れていた。クラスでも目立たない地味な女だったが、こうして見ると美人だ。惜しい人を亡くしたと急に思う。
 そういえば、一週間前は新月だった。だからかと俺は思った。

 彼女が俺の前に現れたのは、それから一週間後のことだった。家には数人の友人が遊びに来ていて、皆思い思いに過ごしていた。便所に行くために部屋を出ると、彼女はそこにいた。
「加藤?」
 なぜ一瞬でそれがわかったのか不思議だった。彼女はひっつめていた髪をほどき、上下赤の服を着ている。
「何で俺んちにいるんだ?」
 へらへら笑いながら言うと、加藤は無言で俺の手を取った。
「私もね、友達とパーティーしてみたかったの」
「パーティー?鍋パとか?」
「そう」
 加藤の笑顔に俺はヤラれてしまって、死人だってことも忘れて手を引く。
「いいよ。中入りなよ」
「トイレはいいの?」
「別に漏らしたって誰も何も言わねえって」

 自室に戻ると、友人たちはテレビのニュース番組を見て爆笑していた。
「やめろよお前ら。加藤が怖がるだろうが」
「加藤?誰?」
「こないだの子でしょ」
「ああ、死んだ子」
 やはりこいつらに加藤の姿は見えていないらしい。それもそうかと思いながら、腰を下ろす。加藤は俺の隣りに座った。
 ちょうどよく、テーブルの上には鍋があった。土鍋ではなく、なぜかドラム缶のような寸胴鍋だ。ぐつぐつと煮え、湯気が立っている。
「俺が取ってあげるよ。何食う?」
「じゃあ、お肉」
 皿を手に、肉をつまむ。鍋からはずるりと赤い大きな肉が現れた。
「ごめん加藤、まだ煮えてないみたい。他のにして」
「じゃあ、野菜で」
 野菜をつまむ。緑色の葉っぱが取れた。汁を吸って美味そうだ。
「はい。他には?」
「お餅は?」
「あるかな」
 鍋をかき混ぜるようにして、底を探る。大抵餅というのは、鍋の底に焦げてひっついているものだ。
「なさそう」
「そう?ちゃんと探した?」
 そう言われると不安になって、鍋を覗き込む。どろどろとした汁の中に、白いものが見えた。
「あった」
 箸でつまみ、持ち上げる。それは俺のスマホだった。
 よかったねと加藤が笑う。よかったと俺も笑った。

「ちょっと二人きりにならない?」
「いいよ。庭出る?」
 ブルーシートをめくって部屋の扉を開け、二人で手をつないで庭に出る。機械音もなく、温度調整もされていない庭は静かで涼しい。
 加藤は庭で、踊るようにくるくると回った。明るい満月の下で見る加藤は、やはり美しかった。
「ねえ」
「うん?」
「どうしてお葬式に来たの?」
「元クラスメイトだろ。もう十年前のことだけど」
「それだけ?」
 加藤はいつの間にか、俺の正面に立っていた。まるでキスでもするかのように顔を寄せられて、俺は彼女の顎を掴んだ。
 唇が触れ合う。死人の彼女は冷たく、鉄錆の味がした。
「好きだから」
「嘘つき」
「でも結構クラスのやつ来てたよ。隠れファン多かったんじゃないの」
「違うよ。私の死体が見たかっただけ」
 彼女はひらりとスカートを揺らしながら、姿勢を戻した。覗く脚には、切れ目のような傷が残っていた。
 服の裾に手をかけ、ちらりとめくる。
「だって、誰でも見たいでしょ?」
 絶対に見たくない。わかっているはずなのに、俺の鼻息は荒くなっていた。
「見たい」
「いいよ。君にだけ、見せて」
「何してんだ?」
 背後から友人に声をかけられて、肩が跳ねるのと一緒に小便を漏らした。生暖かい液体がズボンを濡らしていく感覚は、この状態でも不快だった。
「きったねえ。そんなんだからあんな女にラリってんのバレたんだよ」
「加藤は?」
「お前が殺しただろ」
 そうか、と呟く。そうだった。俺はポケットからスマホを取り出した。血溜まりのドラム缶の底に落ちても、スマホはぶっ壊れちゃいなかった。
「美人だったんだよ」
「そう」
「本当だよ」
 今気づいたんだ。俺がそう言うと、友人は吸っていた紙巻たばこを俺の腕に押し当てた。それで漸く、新月の下で死んだ加藤の幻は消えた。

2018/11/23 12:37:13

『選んだ鞄』

お題「米」「天秤」

 第四次世界大戦が終わり、世界の人口は一割減って居住可能地域は半分になった。
 日本も例外ではない。俺は瓦礫となった家から鞄と布団だけを引っ張り出し、段ボールで雨風をしのぐ生活をしていた。ここにいれば、一年ももたないかもしれない。そう思いながらも、俺には行く宛がなかった。
 居住不可能地域には、俺の他にも住人たちがいた。彼らは商店街に屋台を出し、食料やら生活必需品やらを売っていた。
 売ると言っても、政府は機能していないから金銭のやり取りではなく物々交換だ。俺の布団はサバ缶十個になった。鞄に入っていたノートや筆記用具の類は全然売れなくて、段ボールの上にただ横たわる日々が続いた。
 死の恐怖はない。このまま飢えて、頭が働かなくなり死んでいくのだと思うと、そこまで悪いことではないと思った。

 最後のサバ缶を食べきり、商店街に筆記用具と鞄を並べてうつらうつらとしていた時だった。そばに人の気配を感じて目を向けると、そこには見知らぬ男が立っていた。男は表紙に名前の書かれたノートをしげしげと見ている。
「これをくれますか」
「何と交換」
 かすれた声で、やっとそれだけ言う。
「このペンもセットで。これと」
 男はコートのポケットから、ビニール袋を出した。中には、白い米粒が入っている。三合ほどだろうか。
「いいよ」
「ありがとう。ちなみに他にはない?」
「その鞄とか」
「じゃあそれも。追加でこれ」
 更にもう一袋、米が追加された。
「こんなにいいの」
「いいですよ」
 どう考えても、この米の量に見合うものではない。俺は何か騙されているのだろうか。
「また何かあったら、持ってきてください」
 あったらと答える俺に男は嬉しそうに笑い、鞄に筆記用具を入れた。
 米を分け与える条件で飯盒を借り、俺は瓦礫の中で一人久しぶりの白米の味に泣いた。ずっと考える余裕のなかった家族のことを思って、その日は寝た。

 翌朝、俺は家のあった場所から四角い木の箱を掘り当てた。持ち手がついた、木の鞄だ。
 それだけを持って商店街に戻ると、男はまた現れた。
「本当に持ってきてくれたんですね」
「あったから」
 男は中を見て、じゃあこれをと米を三袋渡した。
「そんなに価値が?」
「僕にはある」
「この米はどこから?」
「実家から送られてきた。美味しかったでしょう?」
 わけがわからないが、俺は生き長らえたらしい。しかしあいつは貴重な食料とガラクタを交換して、自殺願望でもあるのだろうか。そんな疑問も湧いたが、米が食えればそれでいい。

 次の日も、俺は瓦礫を漁った。ろくなものは見つからず、紙束が数十枚出てきたくらいだ。
 だが男はそれを見て、今までにないくらいの食いつきを見せた。
「信じられない!どうしよう、どれだけ払えばいいですか?」
「待ってくれよ。俺はその紙束の価値がわからないんだ。だからいくらになるのか、まるでわからない」
 じゃあ、と男は俺が譲った鞄を渡してくる。中は小分けにされた米や水などの食料でぱんぱんになっていた。
「僕が今持っている全部の食料です」
 欲望と理性を天秤にかけたら、案外軽々理性が勝った。
「貰えるわけないだろ。たかが紙束の」
「たかが?」
 男は、初めて不機嫌そうな表情を見せた。そして俺の手に、鞄を押し付ける。
「こんな状況だから、それどころではないから、腹が減っているから。そう思ってました。でもあなたはもしかして、最初から興味がなかった?」
「興味なんか持つはずないだろ。どうでもいいんだよ」
「先生が可哀想だ」
 それだけ言い残し、男は鞄を残して去っていった。それから男が姿を見せることはなかった。

 当面の食糧問題を解決し、欲の出た俺は米を払って布団を買い戻した。せんべい布団でもないよりはマシだ。
 男のことは気がかりだったが、名前も知らなければ探しようもない。一週間が経ち、二週間が経った。物々交換が軌道に乗り始め、飯盒の持ち主が死んで俺のものになった。
 人の生き死ににも、自分の生死にも興味が持てない。俺はただ毎日、ぼんやりと生きていたる。
 ふらりと家に戻ったのに理由はない。あの男がいない以上、この家にあるものに価値はない。
 瓦礫の中に、カラフルな棒が突き立てられていた。前はなかったと思いながら引き抜いて、木の枝が変な色に塗りつぶされているのだと気づく。再び瓦礫に挿し、周囲を散策する。
 あんな大戦がなければ、この家は俺のものになっていたのに。大きな瓦礫をどけると、潰れた額縁が出てきた。
 これにはどれほどの価値があったのだろう。俺は亡父の作品に、一切興味がなかった。少しでも高く売れれば、売る先など問題ではない。
 すべては、生きるためなのだ。

 手ぶらで商店街に戻った俺に、住人の一人が声をかけてきた。
「隣町に、立派な絵を描くやつがいるらしいよ。何でも崩れた壁をキャンバスにしてるらしい。行ってみないか?」
 あの男に渡した木の鞄を思い出す。俺が触ると、悪戯をするなと怒鳴られた。ただの絵の具が入っているだけの鞄なのに。
 あいつに渡して漸く、絵に命をかけて勝手に死んだ亡父を許せた気がしていたのに。
「いいよ」
 行きたくも、見たくもなかった。
「どうせそいつは、すぐに死ぬんだ」
 食料の詰まった鞄を引き寄せる。俺にとっては、この鞄のほうがあれよりもずっと重たい。俺は彼らを愚かだと思う。
「でも幸せなんだろうよ」
 俺の手にはないものを持っているのかもしれないけれど。俺は昨日手に入れたばかりの酒で、口を濡らした。

2018/06/14 19:56:41

『眠い』

 厳重に締めた鍵を開け、狭い部屋の中をふらふらと横断してベッドに倒れ込む。この部屋が割り当てられてからもう1年近くなるが、ベッドの上で眠ったのは数えるほどしかない。
 今日で漸く仕事から解放される。とはいえ、喜びはそこまでなかった。

「部長、1人なんでしょう。食堂で飲み会やるみたいですから、どうですか」
 同僚はそう言ったが、そんな体力は残っていない。とにかく眠りたかった。そのまま死んだって、悔いはないのだ。

 厚木市から西の配給管理を任された時、俺は神奈川県の地理にいまいちぴんと来ていなかった。箱根がある方と言われれば、横浜の方より穏やかに仕事が出来るだろうと思ったくらいだ。
 だがいざ仕事を始めてみれば、土地が広く人口の少ない西側に避難所が多く建ち始めていることに気が付いた。神奈川県内だけでなく、国道を通って東京からも避難者が集まっているらしい。
 それも当然だろう。都会では暴徒が大量に発生しており、装備もなしにぶらつこうものなら殺されるだけ運がいいという状況だ。
 俺も独り身になってから田舎の避難所に引っ越したが、何故もっと早く決断しなかったのかと後悔が募る。

 その苦痛に満ちた日々とももう、おさらばだ。
 NASAの予想が当たっていればいい。俺は微睡む隙もなく、意識を手放した。

「風邪引くよ」
 うつ伏せの背中に布が掛けられる。
「お疲れ様。よく頑張ったね」
 俺は瞼を持ち上げ、笑いかけようとした。そこでぷつりと、夢は途切れた。

2018/02/27 12:57:47

『家庭用死者蘇生装置ゾンビナ~ル』

お題「右手が落ちてる」

 うっかり眼鏡を踏み割ったのとはわけが違う。それでも妻はあっけらかんとしていた。
「洗濯物運んでたんだから仕方ないって」
 妻は先端のない右腕で、ソファーに項垂れる僕の背中を軽く叩く。
「落とした私も悪かったし」
 薄っすら濁った目を眇めて、顎に手を当てる。生前と何ら変わらない仕草だった。

 妻は僕の目の前で死んだ。ずば抜けて賢い彼女は生まれつき身体が弱く、次に発作が起きれば助かる確率はほぼゼロだと医師に宣告されていた。
「君の死ぬ前に死ねるなら、いいかも知れない。出来れば一緒がよかったけどね」
 妻は生前、あろうことかにっこりと笑いながらそう言って、僕を怒らせた。
 終わりは大抵劇的ではない。腕を叩かれて目を覚まし、慌ててベッドから身体を起こすと、隣で眠る妻の呼吸は既に止まっていた。心臓マッサージと人工呼吸を、何度も何度も行う。後で話を聞くと、30分以上そうして居たらしい。
 インターホンが鳴るのが聞こえて、ふらつきながら玄関扉を開ける。そこには医者風の白衣を着た男が立っていた。
「お待たせ致しました」
「はあ」
「‥‥奥様がお亡くなりになられたのでは?」
「はい」
「では失礼致します」
 男はそう言って、ずかずかと寝室まで入ってきた。すっかり上りきった朝日に照らされる妻を見て、急に嗚咽がもれた。
「おい、やるぞ」
 白衣の男はぼくの背後に声を掛ける。すると無遠慮な男どもが数人進入してきて、妻を取り囲んだ。
「何をする気だ」
「奥様から何もお聞きでないので?」
「時間がありません。博士、早く」
 その作業もまた、僕の目の前で行われた。
 妻の腹が糸のようなメスで開かれ、中から黄色い脂肪の付いた腸が取り出される。男たちはそれを慣れた手付きで容器に入れ、次々に内臓を抜いていく。僕は次第に、これは夢だろうと思い始めた。夢から醒めようと考えている内に失神し、ソファーの上で目が覚めた。
「おはよう」
 妻が何かの冊子に目を通しながら言う。
「よかった。酷い夢を見たよ。君が死んで、変な男たちに解体される夢だ」
「聞いたよ、目の前で見たんだって?それは流石に倒れるって。仕方ない」
 その冊子には、『家庭用死者蘇生装置ゾンビナ~ル テスター用』の文字があった。

 妻は1年ぶりにその冊子を取り出して、あの日と同じように読む。
「右手3万円か。案外安いな」
「でも君の、その、生まれつきの手じゃなくなるんだろ」
「私の半分はとっくに生まれつきのものじゃない。今更気にしないよ」
「でも何で右手が落ちたんだ?メンテ不足?」
「まさか。君が毎日見てくれてるんだから、それはない」
 この1年間、彼女の身体に異常があったことはない。それでも僕は素人だから、自信があるわけでもなかった。
「やっぱり君の友達とかご両親とかにも、メンテナンス方法を教えておいた方がいいよ」
「またか」
 妻はその話をするたびに、眉間にシワを寄せる。彼女のことを考えればそれが1番なのに、何故かそこだけは意地でも聞かない。
 『ゾンビナ~ル』の契約を独断で行ったように、妻は僕を蔑ろにするところがある。確かに彼女よりも頭は悪いが、一応彼女の夫だというのに。
「毎日やってても今朝みたいに手が落ちたりするんだ。僕に何かがあったら、幾ら不死の君でもぼろぼろになるだろ」
「そうかも。何しろ私が世界で唯一のテスターだからね、不測の事態もありうる。メンテナンスを怠れば、死ぬ可能性だってある」
「なら尚更」
「大丈夫だって。悪いけどコーヒー淹れてくれない?右手がなくてさ」
 幾ら睨んでも聞かないのは知っているから、溜め息をついて立ち上がる。彼女が生前と変わったのは、苦手だったコーヒーが飲めるようになったことだけだ。
 それ以外は何も、変わっていない。
「もう落とさないでくれよ」
「わかったわかった」
 彼女はブラックコーヒーに口を付けて、にっこりと笑った。